理事 藤永清和
「あたりまえの日常」を、次の世代へつなぐために
8月になると、戦争や平和について考える機会が増えます。
私たちは毎日、ごく当たり前のように家族や友人と話し、好きな場所へ出かけ、地域で集まり、自分の考えを口にしています。病気になれば医療を受け、困ったときには誰かに相談できる。そんな「あたりまえの日常」は、実は平和と人権の上に成り立っています。
日本の民主主義は、自分たちで戦い取ったものではなく、戦後に憲法とともに与えられたものだ、と語られることがあります。そのため、「与えられたものだから大切さを実感しにくい」と言われます。
しかし、日本国憲法は同時に、私たちに大切な責任も示しています。第12条には、自由や権利は「国民の不断の努力によって保持しなければならない」と書かれています。つまり、民主主義や人権は、一度手に入れたらいつまでもあるものではありません。毎日の暮らしの中で、一人ひとりが大切に育て、守り続けていくものなのです。
私たち特定非営利活動法人日野福祉の学校(ひのふく)は、設立以来、「誰もが安心して生きられる社会」の実現を願って活動してきました。それは憲法第25条が掲げる「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を、地域の暮らしの中で少しずつ形にしていこうという思いでもあります。さらに、憲法第13条では、すべての国民が個人として尊重され、生命、自由、および「幸福追求」の権利を持つことを定めています。
「健康で文化的な生活」は特別なことではありません。しかし今、地域に広がる「子ども食堂」の存在は、日々の食事すら満足に摂ることが難しいという厳しい現実を私たちに突きつけています。戦後80年が経った今もなお、生存権を脅かされる現実がある。その重い課題の前で、私たちは一人ひとりの「幸福追求権(第13条)」にまで、十分に目を向けられているでしょうか。
学校や社会の息苦しさの中で、時として個人の尊厳がないがしろにされているように感じる今だからこそ、私たちはもう一度、この「幸福」の中身を問い直さなければなりません。本来、「健康で文化的な生活」や「幸福」とは、決して特別なことではないはずです。安心して眠れること。困ったときに相談できる人がいること。年齢や障がいの有無にかかわらず、自分らしく地域で暮らせること。そして、自分の考えを安心して話せる場所があることです。こうした「あたりまえ」が保障されて初めて、私たちは一人の人間として尊重され、自分らしく幸福を追い求めることができるのです。
もちろん、理想を語るだけでは社会は変わりません。高い理念を掲げても、現実を動かす地道な実践が伴わなければ、長続きはしません。現実を理想に近づけるには、地道な実践と知恵、そして対話が欠かせません。
地域での小さな集まりや日野福祉の学校が開催する「たまりば」、人と人との何気ない語らいも、その実践の一つです。そこでは、お互いを「一人の人」として尊重し、違いを認め合いながら支え合う関係が育まれています。民主主義は国会だけにあるものではなく、地域の中で人の声に耳を傾けるところから始まるのだと思います。
私たちが大切にしている「ひと息、ため息、心意気」という言葉には、そんな思いが重なります。疲れたときには、ため息をついてもいい。ため息は、心と体が深呼吸を求めているサインかもしれません。そして、その「ひと息」が、自分だけでなく誰かのことも少し考えてみようという「心意気」につながれば、地域は少しずつ温かくなっていきます。
平和は、遠い国の出来事ではありません。人権も、法律の条文だけの話ではありません。
今日も誰もが安心して笑顔で暮らせること。その当たり前の日常を守り、次の世代へ手渡していくこと。それこそが、私たち一人ひとりに託された民主主義であり、人権を守る営みなのではないでしょうか。
