2022年7月24日
出席、湯本、酒井、槙島、藤永、岩本、中能、熊谷(オンライン)
湯本さん
- 北海道旭川の近く、農家で育つ
- 小学校まで4キロ、中学校まで7キロを通う
- 一クラス48名で一人の先生がすべてを教えていた。
- 周りと競争するような教育ではなかった。
- 学力の劣る子もいたがみんな日常の会話は問題なく一緒に遊んでいた。
- 中学校に入り受験戦争の雰囲気が出てきていた
- 選べない教育は考える必要もない。これが大きな問題である。
- 自分で考えて選ぶ、行動するという経験が身についていない。
- 日本の古い教育には落第の制度もあったが国民には不評であり、そのうちに廃止された。
- 先生が信念をもって教育してほしい。
中能孝則さん
- 南九州の甑島に生まれる
- 30名の二クラス、毎日遊び惚けていた。
- 先生は毎年変わったがそれぞれに楽しかった、特に3年生の先生は代用教員であったが山に登り、川に遊び、海と戯れるなど、遊び実に楽しかった。
- 4から6年生は同じ先生で遊んだ記憶が強い
- 夕陽を見ながら山から下りてきた、その帰国は鮮烈に覚えている。
- 日本の教育はあまりお金をかけていない
酒井さん
- 長野県の丸小町に生まれる
- 小学校まで40分以上かかった
- 一クラス28名で二クラス、6年生まで同じクラスで学ぶ
- 先生も二回変わっただけで何でもできる先生であった。
- いじめもなく楽しい学校生活を送る
- 中学校に入ると一クラス42名で4クラスであった
- 両新は水飲み百姓だったが、生きるための足りるを知っていたように思う。
- 戦後の教育は変わったと思われていたが、その実は変わっていないのでは。
- 幼稚園は選べたが、小学校は選ぶことはできなかった。
槙島さん
- 葛飾に生まれ、遠足は寅さんふるさと柴又
- 小学校で偉人に会う
- 3年生で村山団地に引っ越す、3クラスで第一期生
- 沖縄に傾倒した杉本先生に出会う。今に言う偏向先生であったように思う
- 出会った先生の影響はおおきい
- 教員が「これは何のために」という話をしていない。
- 日野市は考える教育をしたいと前教育長が言っている。
藤永さん
- 文京区の小中学校に通う。
- 小さいころから銀座などに行くこともあり都会では傷痍軍人にも出会った。
- 職業に貴賤はない・服装で人を判断してはならないとならったが、大人になって服装で差別のようなことを受ける。
- 高校受験に失敗(都立は1次、2次落ち、私立の2次募集で滑り込んだ)するなど落ちこぼれではあった。高校では制服・制帽廃止運動をした。
- 戦争で負けて軍国主義的な教育は終わったはずなのに、仕組みは変わらなかったのではないか。
- 日本人は他人に合わせるのが得意で自分で判断して責任を持たされることが嫌なのではないか。
岩本さん
- 3歳まで日野の多摩平団地で育つ。その後東大和市で生活する
- 幼稚園の頃からいたずら好きで廊下に立たされた記憶もある
- 男の子とザリガニ獲りなどして遊んでいた
- 読書がとても好きで、ひたすら本を読んでいた
- ある理科のテストのとき机の上に花を描いていると、先生からこれはカンニングというものですと叱られた。
- 父母会でもカンニングのことを話され、親の知ることになった
- 二週間くらいは地獄のような日々であった。七歳の時のいやな思い出は今でも消えることはない。
- 中野の中学に通う、違う環境に行けてすごく楽しい3年間であった。
- 今ではありえないような教育であったように思う。
- 今の子は制服を欲しがる(決まっていると楽である)
- オランダに7年間いた、教育は自由で日本との違いに驚いた。
- それが当たり前だと思う日本の教育
- 日本はかなり変わった国だと思う。
- 日本の教育を変えるには教師の意識を根本的に変えていく必要があるのでは。
- 日本は学校を選ぶことができないのがほとんど
- 教育の選択の自由が欲しい
- 考えて選ぶ人間を育てることが必要では
- オランダは、子どもの進級については、親と先生と子ども話し合って、前に進むかも少しとどまるか、決めていく。日本では頼台となる、どこに視点を当てるか、意識を変えていくことが大切では。
- 日本の意識はどうしたら変わるのだろうか。何から始めるか。
- みんな違ってみんないいのでなく、みんな違って当たり前になってほしい。
熊谷さん
- 校則について都立高校の三期生で校則はなかった。
- 下駄をはいてくるな、オートバイに乗ってくるなくらいであった
- 制服もなかった。
- 制服廃止運動をやっている人もいた。
かつて、校則は拘束だという話がありました。
それはその通りで、そもそも「木」は樹木を表す部首、「交(こう)」は人が足をバツ(X)のように組んでいる様子を表しています。
つまり、学校の校は刑罰から成り立った漢字なのですよね。
まあ!!
びっくり????
昨日は楽しい会でした。
皆さんそれぞれに育った場所や受けた教育環境が違っていて。
何年も一緒に活動しながら、出身地を知らなかったり、もちろん生い立ちを聴いたのも初めて。
次回は10月。
またお会いしましょう!!
「バキバキと骨が折れても心臓マッサージは続く…救急科の看護師が目を背けたくなった「延命治療」の壮絶さ」。壮絶というより凄絶と思える話です。
https://president.jp/articles/-/59928?page=1
これも教育問題ではないかと思います。
藤永さん
お忙しい中をありがとうございました。