未来が見えない時代に

副理事長 藤永清和

 先日、福山まで700km強走った。ナビでは走行時間約8時間半だったが12時間かかった。2回の給油と休憩、物見遊山のためだ。自然吸気の軽ハイトワゴンでは少しの上り坂でも新東名の制限速度の時速120kmを維持できなかった。長距離(長時間)走るとシートの座り心地も気になった。今乗っている車も10年になる。あと5年くらい乗るつもりだったが、もう少し快適で自動ブレーキなどの安全装備を持った車が欲しくなった。軽の電気自動車は圧倒的なトルク(駆動力)のため重い車体でも加速は良い。しかし、安心して走れる距離は100kmくらいで充電に30分かかるので長距離ドライブには使えない。電気自動車は将来、自然エネルギーで発電できる時代になれば停電時の電源にもなると思っている。しかし、現在は化石燃料と原子力で電気を作っているので環境対策にはならない。いずれは自然エネルギーを用いて二酸化炭素を回収し水素を作って合成燃料を作れる可能性もある。

 近年は気候変動が明らかに災害を起こしている。二酸化炭素を吸収する森林が火災によって失われている。今年の夏は、「熱中症対策のためにエアコンを使え」と盛んに言われた。エアコンの使用も周囲を暑くする。新型コロナウイルス感染対策に窓を開けて換気すれば冷暖房の効果を弱め、さらにエネルギーが必要になっている。

 ロシア・ウクライナ戦争は終わりが見えない。アメリカは勝たせないように配慮しながらウクライナを支援している。これはロシアの核抑止力が働いているからと思われる。

このような状況下で、私たちに何ができるのか。みんなで考えてみたい。

私たちを縛る嫌ななことば

理事長 湯本 宣

 この世に生まれて自分がどう感じるか、ということから人生が始まるのだと思います。もちろん物心がつく前、自分という意識もないまえです。

私の知人が「ひとには探索行動というものがあって、本来的に備わったものです。」というお話でした。その時の記憶があいまいだったのでネットで探ると「探索行動は、子どもが目に映るものや耳に聞こえるものに対し、強い好奇心を抱き探ろうとする行動」とありました。

 私たちはその人間としてのスタートから探索行動をしないよう育てられます。社会に合わせられることを「しつけ」と称して。探索の好奇心が満たされることはなく、大人の都合の中で生きていくしかありません。

それが、おそらく何世紀来続いています。そのように育った親が子どもに「探索行動のままに生きていては人の世でいきてはいけない」と教えているのです。

それに拍車をかけているのが学校生活です。

いつも正しい答えを求めることを教え、正しいこたえを握っているのは教師といわれるひとたちです。この教えは高等学校まで続いてその総仕上げは入学試験。大学の4年間では抑圧された探索行動の息を吹き返すことはできません。

社会に出ると「創造性や個性的なあなた」が求められていますが、ただし「規範や前例を逸脱しないように」との条件付きで。

そんな世界、そんな窮屈な生活から抜け出したいですね。

「KY(空気が読めない)」という私たちを縛る嫌なことばのない世界へ!

盆踊りの思い出

理事 髙橋 美枝

北海道の生まれです。
夏が近づいてきて思い出すのは、
子どもの頃に住んでいた、公住の中の公園で、毎年やっていた盆踊り。

「ちゃんこ ちゃんこ ちゃんこ」と
何度も使って擦り切れたテープで放送される、こちらでは聞かない独特の盆踊り唄。
この日はあたりが暗くなっても、近所の友だちと公園に集まれる、特別な日。
赤い提灯が灯るやぐらの周りを、蚊に刺されながらぷらぷらと踊った、小さな子どもの頃の記憶。

私は少し変わった家庭環境の子どもだったかもしれませんが、
こうやって生き残ることができたのは、あの地域の皆様の、温かい保護のおかげです。
おかげ様で、こうやって大きくなれました。
今年も暑くなりそうですね。
ありがとうございました。

カラスに飛ぶことを教えたおばさん

理事 大塚喜久子

チリ出身の作家、ルイス=セプルベダの小説[カモメに飛ぶことを教えた猫]を知ってますか。私はカラスに飛ぶことを教えたおばさんの実話を紹介します。日本野鳥の会は、野鳥を拾ってはいけないと言いますが、我が家には、巣立ちに失敗したスズメ、ツバメ、シジュウカラ、メジロなどが、どう言う訳か寄って来るのです。
ある日、雨に濡れてうずくまっているカラスを助けてほしいと、友人が言ってきました。今までの中では一番の大物でした。ケガをしている様ではないのに、逃げない、羽ばたもしない。しばらく飼っている内に眼がおかしいと気がつき、鳥もみてくれる病院へ連れて行きました。先生には「カラスは病気~を持っているから直ぐ放しなさい」と言われました。そんな事言われても飛べないし、エサも探せない、猫にでも喰われろと言う事か?それでも諦めず、放すためには、飛べなければダメと確信。それから毎日カラスに飛ぶことを教えました。カラスはカンタと名付けました。家の中のどこで訓練できるか!風呂場しかありません。風呂場に新聞紙を敷き詰め、野球のバットに捕まらせ、上から下へ降ろす。毎日、毎日、何度も何度も繰り返した。少しずつ調子がわかってきたのか羽ばたくようになった。10日間ぐらいして外に出してみた。近くの低い木に止まったが、何時間も動かない。これじゃダメだと再び捕まえて、訓練を続けた。その間夜明けになると、エサをくれとカァーカァー鳴く。マンションなので、大塚さんちはカラスを飼っているの?と苦情。鳴く前にエサをあげて静かにしろと教えてた。体がデカイので糞も大変だった。1個がスズメやツバメの10倍ある感じ。1ヶ月ぐらいして、だいぶ体力も羽の力もついてきたので、再び外に出してみた。飛んだ、飛んだ、飛びました!マンションの屋上まで飛べました。嘘のようだけど、私の上を一回りして「カアー」と一声鳴いて飛び去って行きました。しばらくはカラスを観ると「カンタ!」「カンタか?」と呼んでいました。カンタがあれからどうしたか私にはわかりません。おしまい。

不寛容社会と地域コミュニティに思う

理事 槇島 和治

ラジオを聞こう

 私はラジオがとても好きです。ICレコーダーで録音し、NHKのラジオ深夜便など聞いています。朝のウォーキングや仕事に向かう車内で聴取しています。

最近は聞き逃しサービスやラジコ(?)といった無料サービスでスマホから聞いている人もいるなど多様な聞き方のアプローチがあるようです。

 最近めきめきと人気がある講談師の神田白山「TBS問わず語り・ラジオの友は真の友」、小説家高橋源一郎のNHK「飛ぶ教室」などもよく聞きます。健康、医療、介護、料理などなどの情報などバラエティがあります。

新聞記者をやめてフリーライターとなり原稿書きつつ地域の人たちと顔見知りになり仲良くなって盆踊りの講にも参加する。地域と溶け込むことのスキルもそんなラジオの体験談をきくと、なるほどと思うこともあります。

テレビも見ない人が増えていると聞きます。ラジオは何か作業をしていても聞くことができます。目を酷使する現代、聞くだけたのしく情報を得ることができます。

ラジオを聞いてない方、あらためてこの機会に聞いてみてください。

大人も絵本を開こう

私には4人娘がおり全員結婚をして、さいわい孫にも恵まれました。娘たちは日野市内、長野市、大和市そして沖縄の那覇市に住んでいます。

その孫たちが、時折訪ねてくると絵本を読む機会があります。シンプルな絵本や仕掛け絵本など孫たちは絵本の世界がとても好きです。

かつて4人の娘を育てるとき、寝るときなど読み聞かせをしていました。

仕事で疲れて絵本を読むときには自分も眠くなって、娘たちから「寝てるよ」とか、「そこはこの間と話が違う」などと言われつつ親と子どもの至福の時を過ごしていたなと思い出します。

孫に絵本を読んでいると不思議だなと思います。まだ言語も獲得してないものの気にいった絵本は何度も読むことをリクエストされます。

五味太郎の「しかけ絵本」などは孫たちに人気があります。

最近はヨシタケシンスケも上の子たちは読みます。やたら理屈っぽいなと感じますが、楽しいようです。

テレビの「お母さんといっしょ」も好きですが、紙の世界で繰り広げられる絵本の時間、空間、想像、夢やあこがれなど子どもたちの心に何が芽生えているのか。私たちも、小さき人たちの心をときめかす絵本を開いてみませんか。

近所の図書館にでかけて児童図書のコーナーに立ち寄って絵本を手に取って見てみませんか。

不寛容な社会、ひとりでも生きていける?

1年間地域の自治会役員をつとめた。自治会も脱退する人があとを絶たず、住んでいる通りが14軒あるうち、自治会加入はわが家とお隣の2軒だけ。 高齢者で回覧板を回すのが大変だから辞める、新築で転居してきた若いご夫婦に加入を勧めても入りませんと断られる。いま住んでいる地元の実情。

役員を引き受けることで、近くに住んでいるのにこれまで交流がない人と話すことができて上野千鶴子さんの講演会などもお誘いできたことはうれしかった。

 公園で話す母どうしの会話とまわりでにぎやかに遊びまわる子どもたちの賑わいにも、いいなと思っている今日この頃です。

 この数年コロナで気楽に交流できない時期を過ごしてきたので、より社会の孤立感を感じている人々もいるなと感じている。

 玄関を開けたら顔を見て気楽に挨拶し、今日はいい天気ですね。お仕事ですか、どちらにおでかけですかといった声かけもなかなか聞こえてきません。これは娘の経験したことですが、引っ越し先の集合住宅でお隣上下にご挨拶にいったらむしろびっくりされたとのこと。

肌感覚で感じるこの不寛容でびくびくした社会をどうするか。もっと楽しくここに住んでいて楽しい、お隣と親しくできて安心だという社会をめざすことは無理なのか。1年間考えて自治会役員をしてきた。知人は増えて自治会の役割も見えてきた。しかし自治会離れをふせぐ手立てはみいだせなかった。

 日野市内で高齢社会の先陣をきっている地域であるが、地元企業も経営困難でその土地を一部手放し、他企業に売りにだすという。

どういう街になるのか、そしてどんな企業がそこに来るのか注視していく。そんな今日この頃です。

新年度のことを考えて

くまがい あゆみ

1月行く、2月逃げる、3月去ると言いますが、いつの間にか3月になりました。年度末突入し、新年度のことを考えなくてはなりません。さらに、新年度は再任用最終年となり、これから先のことを考えます。高齢者の仲間入りし、自分にできること、やらなくてはならないことをやっていくしかないのですが…。ただ、元旦に亡くなった父のおかげ?で、年末から2週間という長期の休みを取りました。あらためて、自分がいなくても職場はまわるんだ?と実感しました。それが、公務員の仕事なのかもしれません。
再任用最終年をなんとか無事に終えたいと思う、今日この頃です。

公園をたまり場に!!

川松ゆり

最近、スタバやドトールにたくさんの暇人(?)が新聞や本を持参しコーヒー片手に1時間、2時間時間を楽しんでいます。

高齢者や学生などいろいろな人たちのたまり場になっています。

で、私が思うにこうした場所を公園に1つ1つ作ったらどうだろうか?と考えます。

太陽が燦燦と降り注ぐ公園の片隅でサンルームのような場所があり、そこに三々五々人が集まり、ゆっくり好きな時間を過ごす。馴染みになってくるとおしゃべり相手ができ、より楽しい時間がはじまる。もし、ここに囲碁や手芸の道具でもあれば趣味の時間も始まる。時にはストレッチ運動を始める仲間ができる。なんてね!!

どこかに、こんなことができる公園と仕掛け人はいないかな?キッチンカーがそれぞれの公園に留まって、たまり場になるってものいいんじゃないかな?? 誰か、市役所の扉を叩いてやってみない?

**一緒に働きましょう!**

理事 渡邉 雅子

介護のお仕事は、人との関りです。
お仕事なのに、「ありがとう」をたくさん言っていただいて、「こちらこそありがとうございます」と気持ちがほっこりします。
人生の先輩のご利用者様からいつもたくさんお教えいただいています。

少しでも興味のある方は月に1時間でもご一緒に働きませんか?
介護のお仕事には不思議な魅力があります。

子育て中でも、隙間時間での就労は可能かと。
今は、1回20分からお仕事はあります(介護の資格は必要です)。
「おじいちゃんやおばあちゃん力になっているの」の会話を小さな子が聞いて、温かな気持ちの子供が育ち、みんなで助け合える地域つくり
ができたら嬉しいな、と考えています。

健康に生んでくれた母に感謝

理事 中能孝則

幼いころから、おなか一杯に食べてみたかったものの一つにバナナがありましたがそのころは病気でもしない限り食べることはできませんでした。

近所の友達が風邪をひきバナナを食べているのを見ると「自分も風邪をひいてみたい」と思ったこともありました。しかし、母がとても頑丈な子に産んでくれたお陰様で、バナナにありつけることはありませんでした。

あるとき父がひと房のバナナを何処かで頂いてきたので、喜び勇んで母のもとに行ったのですが、母は「まずは仏様にお供えしてから」と話し仏様の前にお供えしました。

私は、いつになったら食べられるのだろうかと仏様の前を通るたびにつばを飲みこんだ記憶があります。そして、そのバナナは1週間後くらいに私たちの目の前に出され、皮に黒い斑点のようなものが現れていたバナナをいただきましたが、このバナナがとても柔らかくとろけるように美味しく、お金を稼げるようになったら毎日バナナを食べたいと思っていました。

そして、上京し最初の給料でバナナをひと房買い求め毎日食べました。その後も我が家の食卓にはバナナがありました。

しかし、6年前に心筋梗塞を患うとともに、様々な生活習慣病も発症いたしました。そして、お医者さんからは、「まずはやせる努力をしなさい」と言われ、鬼のような家族の愛に支えられての食事制限と運動療法が始まりました。そのかいあってか病気の前には90キロ超えていた体重が今では70キロを下回るところで維持できています。

その後、かかりつけの先生のところに通うようになりましたが、カリウムの値が下がらず、食べているものを書き出したところ、バナナに多く含まれていることがわかり、先生からは「バナナはあなたの食べ物ではないです」と言われました。それ以来クッキー等に入っているものを間違って食べ無いかぎりバナナを口にすることはなくなりました。

さらに調べてみると、大好きな干し柿をはじめ乾燥した果物には大量のカリウムが入っていることも分かりました。干し柿などこれからがシーズンなのにと思いつつも、健康に生んでくれた母に感謝しつつ、「健康が一番」を大切にしていきたいと思う今日この頃です。

コミュニケーション能力を考える

副理事長 藤永清和

 新型コロナやプーチンの戦争、習近平の独裁など、地球規模で心配の種は尽きない。武漢で発生した時ならゼロコロナ政策が有効だったかもしれないが、あのときは「人から人へはうつらない。空気感染はしない」など誤った情報で感染を広げた。そして、世界中がコロナはゼロにならないことを前提にしているとき、一国ゼロコロナ主義がうまくいくとは考えられない。また、プーチンらが平和を望むとは思えない。このような世界情勢の中で、我々はどのように生きたらよいのか思いめぐらしている。

 ところで、障害者に対して健常者という。さて自分は常に健やかなる人であろうか。病める時も健やかなる時もあるのではないか。それなのに自らを健常者と称するのはいかがなものかと思う。そして、健常者の偏見や他者を見下す態度をどう考えたらよいのだろう。障害者を差別している人を健常と言うことに違和感を覚える。弱い立場の人が引け目を感じるのも健常者のせいではないか。

 障害者施設を訪れると「親亡き後」が心配だという高齢の親の話が出る。それは社会が障害者を受け止めていないからだ。時には障害者グループホーム建設に反対運動が起こる。障害者の特性をよく理解して障害者のパニックを誘い、「ほら障害者は危険だ」という「健常者」もいる。福祉事業所では地域とのかかわりを大切にしていると理念や行動指針では語る。しかし障害者が地域になかなか溶け込めていない現実がある。無神経な「健常者」のふるまいのために外出できない障害者もいる。

昨今はコミュニケーション能力が重視されている。その人の他の能力よりもコミュニケーション能力が大切だとさえ言われる。しかし、コミュニケーションは情報共有や意思の疎通を意味し、双方向のものである。相手にコミュニケーション能力を要求するのは、意思の疎通に苦労したくないからではないか。コミュニケーション能力の重視は分かり合うための努力や人の多様性を認めるのと違う方向に向かっているように思われる。「ほうれんそうは賛成土壌には育たない」ことも忘れてはならない。