徒然なるままに

理事 大塚喜久子

 私には失語症の妹がいます。久しぶりに会いに行くと、私の顔を見るなり「私が交通事故で死んだ夢をみた」と手振り身振りで、やっとこさ伝えるんです。正夢だと困るなと一瞬思いました。運転が苦手、高齢者になった、もう運転は辞めるように言われています。
その2~3日後に自宅の裏庭でタヌキが死んでいました。とっさに私の身代わりだと妄想しました。タヌキに手を合わせ花を置きました。そしてそのまた2~3日後に、今度は子ダヌキが裏庭を走りました。寒い時期だったので、親が死んでしまい、この寒さの中、おまえも生きて行くのが大変だなと思いました。私はしばらく残飯をあげる事にしました。タヌキ達は敷地内の納屋の下に穴を掘って、そこを寝ぐらにしていると先住人が言うのです。もう10年以上にはなるらしいです(世代交代はしていると思いますが)私は最近引っ越してきたので、餌付けをしていた訳ではありません。せめて子ダヌキが大きくなり、暖かくなるまでと思いました。
1ヶ月ぐらい過ぎたある日、また子ダヌキが庭を走ったので、「ぽんた」「ぽんこ」と声をかけました。残飯を床下に置く時に、いつも声をかけます「ぽんた」「ぽんこ」と。私のダミ声は聞き慣れているはずです。すると子ダヌキは止まって私を見ました。私は「元気で大きくなったか」と聞きました。「ハイ、いつもありがとう」(妄想もいいとこアハハ)と言って走り去りました。
日本昔話には、いろいろな動物達との触れ合いが出てきますが、本当だなという気持ちになります。
福祉の学校でも、たびたび「共生」という言葉が出てきて皆で話合います。近くの我が家の畑には、イノシシ、タヌキ、ハクビシン、鳥達、そして今はサル達に頭を抱えています。作物をことごとく食い荒し、ちょうど良い収穫期をピタリと狙います。他にも、蛇、蚊、ゴキブリ、百足、スズメバチなど。
『共生』難しいな~~~~とつぶやきます。

沖縄に心を寄せて

槇島和治

私が中学生の時、音楽の授業ではじめて沖縄にふれた。教師は今は沖縄在住で八重山文化研究のために東京から沖縄に移住。

「てぃんさぐぬ花」をそのときはじめて聞いたが、いまも耳に残っている。

音楽教師には音楽の楽しみや、背景の文化そして沖縄がおかれている現実、米軍機からの落下物で亡くなる人がいたんだと衝撃的な話も聞かされた。

 高校を卒業、民間企業に就職し、沖縄返還運動やベトナム反戦運動に関心をもった。

「沖縄を返せ」の歌は強く印象に残っている。

 時がたち沖縄海洋博の年に結婚し、新婚旅行で沖縄にいった。

 子育ての時期は職場での労働組合運動、地域での保育運動やPTAなどにもかかわってきた。

 そして娘たちが成長し4女が昨夏より沖縄に移住した。

娘の夫が沖縄出身で地元に帰郷しレストラン経営を秋から開始するためだ。

東京育ちの娘も孫とともにこの1年コロナとの格闘をしつつ那覇で生活基盤をつくりつつある。

夫のご両親も沖縄人らしく、つらいことがあっても「なんくるないさー」と明るく一緒に娘夫婦や孫を励ましてくれることがとてもありがたい。

かつての戦争で沖縄本土を犠牲にして県民の多くが亡くなり、しばらく米軍統治となりいままだ、日本にある米軍基地の70%が沖縄にある。

沖縄だけではなく人権や差別の問題はまだまだ日本国内に山積している。

ホットな課題は旧統一教会からの霊感商法で多くの国民が苦しんでいる現実。

一緒に理事をしている中能氏がよく話されている。

 いま私たちのおかれている日本という国が本気で私たちを愛してくれているのか、真剣に考えなければと思う。

 日野福祉の学校創設のきっかけになったデンマークに学ぶことと同時に、足元の現実から目をそむけず歩んでいきたい。

これからも、ATMで生きていこう!!

梅﨑満洲夫

私は、昨年9月にラクナ梗塞を発症し多少足と言葉に不都合をきたしておりますが、目下リハビリに通っています。周りの皆さんから安否をあんずる声をかけていただき元気に暮らしております。大変ありがたいことです。そして、体を動かす(散歩等運動)ことなど主治医の強力な勧めもあり近くの公園で毎朝行われている体操会に入会し、地域デビユー(公園デビユー)をして2か月になりました日曜日と雨の日を除き毎朝6時10分から6時50分ぐらいまで約40名ほどの元気な皆さんと体を動かしています早起きは何とかといいますしきっといいご利益があると信じて精を出しております。最後に、ある大学の先生がこれからの人生は、ATMで行きましょうと言われておりました。
   A 明るく T 楽しく Ⅿ 前向きに

私はこんなに人見知りだったのか…?

熊谷亜由美

福祉の学校の理事になって、早1年、顔見知りの方はいますが、なんとなく、ここにいていいのか…という気持ちを抱えていました。そして、梅崎さんのあとをついで、市民活動ネットワークの会議などにも出るようになり、長年日野の街で活動してきたのに、知ってる人がいない…。私はこんなに人見知りだったのか…と思ってます。井の中の蛙でいいとは思っていないし、たくさんの人とつながっていく意味も理解しているつもりなのですが…。
20代から、梅崎さんたちに教えを受けて、社会教育の中で、人とのつながりを大切にしてきたはずなのに、こんなに人見知りになっていることに自分でも違和感感じてます。
2年目の今年、福祉の学校の中での自分の居場所を確かにし、それを足掛かりにして、外の世界に出ても物怖じしないようにしていきたいと思います。

一生懸命しかできない

渡邉雅子

人ってなんのために生まれてきたの? 私には何ができるの?
考えても正解は分からない。 では、どうするの?
目の前の事を一生懸命に行う、としか今の私には言えません。

日野ふくには尊敬する先輩がたくさんいらっしゃいます。
世の中に問題意識を持ってどのように考え、どう行動しているかを何気ない皆さんの会話から聞かせてくださり、長期的な視点を教えていただいています。

地域の福祉力を高めよう の志は多くの人が望んでいる事でしょう。
皆様 一人一人の一生懸命を繋げて 志を共にしましょう。

最近、私が「おかしいな?」って思うこと

川松ゆり

1 .介護保険制度が2000年に施行され、「自立支援」と言われてきたのに、1 割負担から3割負担になり、最近では生命保険会社が家族に「長生きをしてほしい」と言わせ、本人は「老後が心配だ! !」と不安な発言をさせて、ジャー ン♪♪ 介護保険のコマーシャルが流れる。高齢者の集まりでは「お葬式費用くらい自分で出したい」と言い、「高齢でも保険に人れるわよ」と優しくつぶやく人がいる。
以前、私の98歳の知人が「保険に入って、自分の身を守れということはそれだけ国が脆弱だという ことですよ」と言われたのを思い出す。
この国は私たち国民を愛しているのかしら?

2.昨日、麻生副総理が言っていたけれど「連合と手組んでいきたい」って! ! 「自民党と手を組むことで給料が上がる」って。「今まで待遇を改善してきたのは自民党でしよ。」だって!! 本当なの? ? 組合運動は何のためにあるの? そういえば、ストライキやデモ集会も聞かないなあ・・。教職員も残業で大変なのに、なんの主張も運動として形になったニュースを聞かない。他の事業もそうだよね。この「連合」の話は以前、銀行が崩壊した時と同じ衝撃だったよ。
この国の構造は、今、どうなっているんだろう?

平和について

中能孝則

50年以上も前のことになるが、平和について父が語ってくれたことを思い出すときがある。父いわく、平和とは「全ての人々が平たく、禾(のぎ)を口にできることである」と教えてくれた。また、禾とは稲、麦、稗、粟などの穀物の総称であるとも教えてくれた。

そのようなことを思うとき、ある日の母の姿も思い出すことがある。

母は、午前中の農作業のあとに昼ご飯をいただいたきその後昼寝をするのであるが、その時に「あー、極楽、極楽」とつぶやきながら風通しの良い畳の上に横になり、ひと眠りしていた。そして目が覚めると夕方までの段取りを確認するようにつぶやき、再び野良仕事に出かけていく。

昼飯と言っても、麦のご飯に味噌汁、たくわんやラッキョウ、イワシの煮干、大根の煮つけ程度の実に質素な昼ご飯であった。

私が祖母から聞いた極楽とは、「桃の花が咲き誇っていて、この世では味わうことの出来ない超楽しいところで、毎日美味しいごちそうを食べることができるところだ」と教わった記憶があり、母がつぶやく極楽とは雲泥の差があった。

しかし、いま改めて思うと、「ご飯が食べられて昼寝ができること」が極楽だということが理解できるような気がする。

そのようなことを念頭に置きながら私たちの国日本を見てみると、この国は今本当に平和だろうかと思うことがある。うがった見方かもしれないが、戦争がないだけまだましだと思えばそうかもしれないが、本当にそうだろかと思うのである。

ウクライナに平和が訪れ、「全ての人々が平たく、禾を口にできる」日が一日も早く来ることを心から願いたい。

ゲゲゲの鬼太郎と妖怪人間ベムの話

副理事 藤永清和

妖怪人間ベムは、「早く人間になりたい」と叫ぶ。いっぽう、
ゲゲゲの鬼太郎は
ゲ、ゲ、ゲゲゲノゲー朝は寝床でグーグーグーたのしいな
たのしいなおばけにゃ学校も試験もなんにもない
と、お化けであることを全面的に肯定している。
わたしたちは「日野福祉の学校」であり、皆学ぶことが好きだ。
しかし、自分ではない何かになろうとする必要があるのか。

憂歌団のゲゲゲの鬼太郎

髭なしゴゲジャバル

理事長 湯本とおる

ゴゲジャバルとは見た目もさえない野良猫の名前です。

昭和49年NHKみんなのうたでこんな歌が流れました。

陽気な伴奏に乗って・・・(^^♪

宿なし猫のゴゲジャバルが昼寝をしているうちに、わんぱく小僧がやってきてヒゲを切り落としてしまいました。それを哀れに思ったばあさまは数珠を手にして早くヒゲが生えるよう祈りました。大地主の良左衛門さんは膏薬をたくさん買ってきて、ゴゲジャバルの顔一面に張り付けて祈りました。それを見てネズミどもは大笑い。村中の若者たちは数珠を手に月夜の丘に登って、みんなでヒゲの神様や閻魔大王や、寿老人にお願いしました。タヌキも腹鼓をたたいて祈りました。

「お出まし お出まし髭よー。生えまし 生えまし髭よー。」

「ホーイホー!ホーイホー!」

同じ生き物を思いやるやさしさと気持ちのゆとりと・・・。