新型コロナ感染症拡大のため、残念ですが中止です。
終末期の生き方を語る会 1月9日(水)中止
新型コロナ第6波のため、中止します。次回3月16日(水)は予定しています。
次回の終末期の生き方を語る会は2022年1月19日(水)
★ 終末期の生き方を語る会<コロナ禍に負けず実施中>
・日時 22年1月19日 水 、 19 時から (要予約)
1月は人権と貢献寿命等について聞きたい、知りたい、話したい。
・参加費:300 円(会員に限らずどなたでも参加大歓迎)
・お願い:マスク着用、飲み物持参
・会場:公益財団法人社会教育協会3 階 ゆうりかホール
(豊田駅北口徒歩2分、すきや3階
2021年10月20日19時~21時の報告
参加者10名
1 初参加の方もあり、簡単に今迄の経過説明。
その後自己紹介、なぜこの会に参加したか、会に望む事などを話し合った。
☆自分もこのような事を考える時がきた。他の方々の考え、意見を聞きたい。
☆親がまさにぶつかる問題なので、参考にしたい。
☆なぜ在宅死が良いのか。
☆家族からエンディングノ―トを書くように言われているが書いてない。
☆自分はもう近いと思うし、自然死を望んでいる。これから生きていく者達に何をしてやれるのか。
2 フリ―ト―ク
☆病院と言っても、治療が目的、療養が主、リハビリかなど。ベッド数が決められている。また地域包括センターと関連しているものもある。
日野にはサポ―トケアハウス『ラピオン』で看とりが出来る全国でも珍しい場もある。
医療は必要であるが治療という視点だけでなく、支えるということが必要、大切なのでは。
☆Nさんより、参考資料で上野千鶴子著『在宅ひとり死のススメ』の目次を配布。どの項目を取り上げても皆で話題に出来る。自分としては、“子どもには背負える程度の負担を”と思っている。
☆私も読んでみて介護保険の事はもっと知っておきたいと思った。福祉スティグマという言葉があったが、話題にしたい。
☆日野市で実際に在宅死が出来た例を知りたい⇒Kさんより、家族は満足して看とれた事例を報告。支える医療、支える看護、支える介護などのチ―ムワ―クがあって出来た。
☆今後、ひとり暮らしや、高齢者がますます増える訳で、介護の社会化は必要。社会的に皆が支えあう社会が大切。
☆介護が必要でない人は、介護が必要な人を支える。公的なものばかりではなく、地域の力でやっていく。
☆介護保険を利用する時は、自分がどのようなサ―ビスを利用したいのか、どのように生きていきたいのかなど考えて、自分にあったケアマネジャーを選ぶ事が大切。
追伸:Nさんが在宅死を考えるきっかけになったのが、上野千鶴子著の在宅ひとり死のススメと思っていましたが、小笠原文雄著の『なんとめでたいご臨終』を読み、この実践は岐阜県のことだったので、自分のいる日野市ではどうなのだろうと考えたとの事です。訂正します。
以上 報告大塚です。
2021年7月21日 終末期の生き方を語る会
出席:湯本、川松、後藤、粕谷、熊谷、椿坂、大矢、西村、大塚、藤永
1) 久しぶりの開催であり、初参加の方もいらっしゃるので、簡単に自己紹介
2) 今年度は、川松、大塚が、この会を担当し、今までの経緯を説明した。
この会は、終末期や死について、自由に語れる場としてやってきたので、今年度もフリートークを大切にしながら、話し合いの中で生まれてきたことを取り上げながら実施したい。
(例)テーマを決める。
本を参考にする(当日参加の方にも、スムーズに話題の中に入れるような配慮をする)。
講師を招いて福祉の学校のイベントとしてパネルディスカッションを実施することも考えている。
3)フリートーク
- 身内を看取りながら、どのような終末の迎え方が良いか考えるようになった
- 身内に(また、自分自身も)高齢者を持つと考えるようになった
- 年を重ねることは人間を弱者にしていく
- 独り暮らしの方に対し、家族がいれば幸せなのか?
- 自分が真っただ中で、自問自答しながら生きている。自分が弱くなっていくが存在の意味は何か
- 齢を重ね、弱くなっていくが、今まで見たことの無い風景が見え、歳を取ると良いなと思う
- 歳をとると弱者になっていくというのは事実だが、弱者にされていくというのは何だろう
- 生産性・消費性がないと社会が成り立たない
- 社会主義、資本主義は産業革命の後に生まれてきた
- 人類の進化が社会を作ってきたが、それを大きく囲っているのが自然だ
- 生活空間は無限だと思っていたが、現在はそれが無限ではないと人類は気づき始めた。地球は有限ということに切り替えなければいけない
- 宇宙船地球号の経済学(※)
- 自分はどうやって死にたいか。自己実現ができる中で死にたい。そのためには、どうやって生きて行ったらよいのか。
- がん患者に対して、日野市では対応医師、きちんとした知識を持った訪問看護、介護など、在宅での環境整備が社会化されてきたのではないか
- 死ぬまでの道のりの事例が必要
- 認知症の症状が出た時、どのような対応をして行けばよいのか、事例が必要。症状は動いていく
- これからは多死社会に入っていく。戦時中は祝ってくれる死に方だったが、今後について考えたい
- 経済活動から離れた人間の存在意義は何?
- Eテレ 100分de名著 ボーヴォワールの老いを取り上げている(彼女が62才で発表した)
この時代に「老い」を考えているボーヴォワールはすごい
(感想) 今回は出席者も多く、多岐多様なフリートークで、なかなか興味深いものがあった。各自がそれぞれに受け止め、何かの参考になればと思います。
次回は、2021年9月22日(水)19時~です。
テーマは未定です。
当日欠席の会員から、在宅死を望んでいるが、在宅介護、在宅医療なしで在宅死を迎えることを目指したい。それもありうるか? との意見がありました。
大塚喜久子
※ 藤永 注「宇宙船地球号の経済学」ケネス・ボールディング 1966年ころだと思う。「カウボーイの経済学」との対比で語られた。「経済学を超えて」に収録されていたのか、記憶は定かでなく、残念ながら今、手元にない。
1970年代には、ホメオスタシス(恒常性)が生物だけではなく、経済活動にも言えるという議論が盛んだった。当時、「成長の限界」ローマクラブ(1972年)も良く読まれた。
終末期の生き方を考える会 開催予定
9月22日(水)、11月17日
ACP(人生会議)を考える
ACP(Advance Care Planning)とか、人生会議とか言われても、何のことかわかりません。もう少しわかりやすいネーミングはなかったのかといぶかしく思います。
「患者さん本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に、現在の病気だけでなく、意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ、終末期を含めた今後の医療や介護について話し合うことや、意思決定が出来なくなったときに備えて、本人に代わって意思決定をする人を決めておくプロセスを意味している」とのことです。
参考:厚労省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」 https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10802000-Iseikyoku-Shidouka/0000197701.pdf
ACP(人生会議)について、読売新聞の連載記事
読者会員登録が必要ですが、参考に。登録したけど、読む方法がよくわかりません。
[安心の設計 医療の意思決定]ACP(人生会議)を考える<1>終末期の過ごし方話し合う…年齢や性別で異なる意識 https://www.yomiuri.co.jp/life/20200419-OYT1T50188/
[安心の設計 医療の意思決定]ACP(人生会議)を考える<2>「蘇生」巡り救急現場混乱…本人らしい最期へ 議論とルール作りを https://www.yomiuri.co.jp/life/20200420-OYT8T50122/
[安心の設計 医療の意思決定]ACP(人生会議)を考える<3>延命か尊厳か 日米で意識差…「万が一」の準備 日本は不足 https://www.yomiuri.co.jp/life/20200421-OYT8T50105/
今までの議論
湯本さんから「いろんな方に迷惑というか影響与えるのですね。かんたんにじぶんのいしではしねない!?」 とのコメントがありました。
在宅死、終末期医療を考える交流会
019年9月6日 日野福祉の学校 出席:9名
問題提起(NIさん)
- 在宅で死んでいけるには、遺産相続などについて
- 死を忘れた日本人(2010年出版)
- 日本人はなぜ死を嫌うのか、死と向き合うには。
- 親も具合が悪くなるとすぐに病院に運ばれる。家族は十分にかかわれなかった
- 自分は自宅で死にたい。どうしていけばよいか
- 今後死についての学習会などが出来ればよいと思う
I
- 今後はできるだけ在宅で治療しなさい(厚労省)病院も診療報酬が見込めなくなるので、今後は在宅医療を中心にという考え方になってきている
- いろいろなところで死について語り合う会が出来つつある。
- 家族の理解が必要、医療チームが整えばかなりのところまで在宅での医療が可能になる
- 自分が病気にでもならないと真剣に考えることがない。
- 価値観を考え合うカードのような資料もある。
U
- 祖父90歳の死を迎えて思うこと、3日後に死ぬといわれていたが、ただ寝ているだけで、ビールを飲んでいた。
- 3日後に死んだ、うちで死ぬ人は大変珍しいといわれた。家族、親戚が沢山いて、面倒が見れたので、自宅で死ぬことができた。手がいっぱいあることがあった。
- 祖母96歳も自宅で亡くなることが出来た。
I
- ひとり暮らしの方がその後のことが決めやすいのでは。
M
- 義理の祖母が100歳を超えてなくなった。施設で「そろそろ」ということで、自宅に戻り、静かに息を引き取った。
- 脈はしっかりしていたので、まだ大丈夫と思っていたあが、食べられなくなっていていたのでなくなった。大往生であった。
- 親戚にこだわる人がいて葬式が大変だった。葬式の後は宴会であった。
- 兄夫婦は結構きつい感じだった。
- 昨年弟を見送った、姉弟の縁はなくなっていた。
O
- 本、死にゆく人について
- ご主人が亡くなる。医療をすべて拒否して自然死を選んだ。看護師の奥さんも付き添っていたが、ご主人の死がとても美しく思えてきた。
- 医療だけでは解決できないことがあるのではないだろうか。
- 現在在宅で看取っていくケースも見ている。
- いざ死を目の前にすると、生命を維持してほしいと願う人もいる、人間の心は変わって当たり前と思える。
- 手が当てもダメなものはだめで、ケースドバイケースであると思う。
- 死にゆく人を看て行ける家族の心構えが必要では。在宅の難しさをどうとらえていくか。家族が家族を見ていられない。
- 介護している家族も大変である。共倒れになる可能性もある。
- 家族の中でも点滴など延命治療をするかしないかいろいろな意見がある。どこで線を引くか生前に確認しておく必要がある。
- 慰労にしないと点滴だけでは持たない。延命はしないという家族の確認が必要。医師からは「餓死させるのですか」と言われた。それから8ケ月生きた。
- 親戚の対応も結構大変。人の手があればやっていけるとは思わないし、ひとりでも在宅でやっていけることもある(支えるチームがあるかどうか)
- 後悔しない最後の迎え方について共に考え合うことが大事では。h
T
- 自分は当事者である。自分はどこで死のうとかまわないが、自分はどのような状態で死ぬのがよいか、自然死を迎えたいが、内面的には自然死できないのでは。
- 死ぬ練習ができないので、どのようにして死ぬ準備をするか。そのことに関心がある。
O
- 死について具体的にイメージできる訓練をする
フリートーキング
- どのように死ぬかは、どの様に生きるか
- 若い人たちにはその感覚が大きい
- 生きててほしい、早く死んでほしいという思いは、両方とも本音ではないだろうか。
- 本音とたて前がづれているのでは。
- 死を見る勇気が必要では。
- オランダは安楽死を認めているが、結構厳格に対応している。
- 2030年には団塊の時代の人たちが死を迎える時代になるが、病院では受け入れることは不可能になってくる。その時にどうする。
- 死に方について考えることが必要であるが、終末期が長引けは思うようにいかない。
- 生命力のある人は誰も死にたいとは思っていない。寝ている時間が長くなってきたら考えるようになるのでは。
- 病院での苦しみに耐えられない生命にどう対応するか。
- 死についての教育をどう考えるか。
- 今の世の中は社会に役立つことが基準であるという訓練はしているが、幸せが基準になっていないので幸せになるトレーニングをできていない。幸せな人生を全うしたということが大事ではないだろか。
- この世でやりたいことはやったなという感覚を持てるか。
- このような語り合う場が、訓練ではないだろうか。
- 慰労になったら自分の人生はおしまいという感覚の人も多い。
- 最先端の医療を学ぶ必要がある。
- 自分の口で食べることが出来なくなったら、いよいよという考え方もある。
W
- 介護スタッフ、医療スタッフがどこまで対応できるか不安でもあるが、それを覚悟で在宅でという考え方はあるのでは。
- 親が苦しんでいると救急車を呼んでしまう。
- 心のこもった医者の説明が丁寧だと家族は安心する。
K
- この30年でいろいろな死に方に出会っている。
- 本人が選ぶこともあれば家族が選ぶこともあるが、どのような形が良いのだろうか。
- 緩和療法について、医者の処方した薬は飲まない
- 人間の本音には波がある。本人はどのように思っているか、家族はどのように思ってるか、
- 本人との信頼関係をどのように築くかが課題である。
- 日々の生活では見えていなかったものが見えてくる。
- 一口でも食べれば家族は安心、次にトイレの問題が直面してくる。
- 家族が食べさせたいものではなく、本人が望むものを食べさせる努力をしていく。
- 家族から感謝される善意について考えてみる
- 様々情報に振り回されることもある。家族は様々ことと戦っている。
- 地域にも支えられていることを知る。
- 日野の終末期医療の体制も良いところもある。賃貸の部屋というイメージで24時間体制で見てもらえる。(山之上クリニック)
- どのように見守られていても、覚悟は必要である。
本の紹介
*死を忘れた日本 中川恵一著 朝日出版社
*なんとめでたいご臨終 小笠原文雄著 小学館
*死にゆく人の心に寄り添う 玉置妙憂著 光文社新書
*平穏死のすすめ 石飛幸三 講談社文庫
★次回の交流会
- いくらやってもやりすぎるということは無いので、続けたい。
- 宗教などについても語りたい。
- 戦時中は立派に死ぬことしか教わらなかった。戦争はむごいもので、今は幸せである。このことを理解しつつ、考え合っていく。
在宅死、終末期医療を考える交流会(2)
2019年9月6日 日野福祉の学校
- 若い人は死について眼中にないのでは
- 自分たちも若い時には死のことについては眼中にはなかった。
- 自分の身近にあると考えることもある
- 昔(戦時中)は立派に死ぬことが誇りであったが、それは教育であったのでは。
- 延命治療をしたけど亡くなった。どこまで生かさなければならないのだろうか。
- 家族に迷惑をかけるのならば、自分の持っている寿命で終わるようにしては。
- 家族と会話をできなくなっても生かされているのはつらい。
- 介護を通じて姉弟が仲良くなった。それはお母さんの役割だったのでは。
- 家族の介護と自分の生き方について。
- 父親は家族の鬼瓦的存在である。
- 墓の今後について⇒墓じまいをどう考えるか
- 今後墓をどうするかの考え方。
- 日本の宗教観については歴史上の考え方が根強く残っているのでは。
- 宗教観については無視できないのでは。
- 物理的になくなった人は共同墓地という考え方。心の支えとしてはどう考えるか。
- 先祖を供養するという考え方は大切にしたい。が。
- 墓友(はかとも)という考え方について
- 世界の墓事情について、世界の墓マイラー(日本人がいる)
- 最後は家族と過ごすことの尊さも尊重したい。
- 家族に死に方を残しても、家族がそれを受け入れなければどうにもならないのでは。
- 金銭的なことも含めてどうのように考える。
- 父や母は自分たちで面倒見たいが、自分の時は子どもに見てもらおうとは思わない。
- 事実としての死をどう考えるか
- 死については、歴史的な背景も学びながら考えていく必要があるのでは
- その時の出逢いが人生を左右することがある
- 祖母が亡くなった時に、それを見ていた母は散骨を希望した。⇒今は少し変わってきているようにも感じる。
- どのような状態にあっても生きる意味があるのでは⇒あきらめてはいけない
- 絞りようもないことかもしれないが、何か絞って話をしてもいいのではないだろうか。
- 間もなく病院では死ねない時代が来る、その時にどうするか
- 自分が住んでいる地域でどのような生き方をしていくか。
- どのようにすれば医者とざっくばらんに話せるか。
★軽く整理してみると
- 親世代の生き方と今の世代これからの世代の生き方は違っている。
- 延命治療について
- 自分が考えている寿命について
- 家族介護について、また家族で看取ることの尊厳について
- 墓の在り方につて(しまい方、永代供養について、共同墓地、散骨について、樹木葬についてetc。
- 死に方の歴史的な背景について学んでみる
- 財源についてどう考えるか
- ホスピスの在り方について
- 自分はどのような生き方をしたいか
- 医療と介護のバランスをどのようにとらえていくか
- 魂の問題をどのようにとらえていくか
★在宅死について、地域でどのように生きるか、どのように亡くなっていくかのシンポジュームまたはパネルディスカッションを開いてはどうだろう
★具体的な事例で取り組んでみては(メンバーはいると思う)
『日野福祉の学校・在宅死を語る会』開催
2019年9月6日(金)19時~ ゆうりかホール(シンデレラビル)にて
ファシリテーター 西村さん
どう生きるか、どう死ぬか、大いに討論する。
厚生労働省が出している資料(ACP)アドバンスケアプランニングの概要を学ぶ。