理事 中能 孝則
日野の町にお世話になって55年目を迎えた。この間4年間は民間の会社に勤務、45年間は財団法人の社会教育の世界に身をおいて来た。
そこで、多くの人とも出会わせていただき、地域ともつながりができて実に楽しく仕事をさせていただくことができた。ありがたいことです。
67歳の時に退職し、仲間からのお誘いで地域の居場所づくりのお手伝いをすることになった。私の役割は、ギターを抱えて明治、大正、昭和の童謡・唱歌と歌謡曲をみんなと一緒に大きな声で歌うことであった。
これがボランティア活動の地域デビューのきっかけである。そして「日野の町にお世話になって50年、何か恩返しをしたい」と思うようになり、気が付けばあちらこちらから声をかけていただき、高齢者の施設を訪問して大きな声で約1時間一緒に歌っている。なんとその数は月に8回にもなる。
あるとき90歳を超える方から声をかけてもらい。
「今日はありがとう、あなたと一緒にうたっているといつの間にか元気が出てくる」
「何よりも楽しい、生きていてよかったよ」
「また来てください」と励まされた。
もちろんお世辞だとは思う。しかし、お世辞だとわかっていても褒められればうれしいこの私。
そして気づかせていただいた。合唱団や歌声のサークルにも入っていない自分が、月に7~8回も大きな声を出して歌わせていただくことがあるだろうか、と。
これは、「恩返しどころではない。むしろ自分の健康のために歌える場をいただいていることに他ならない」と。
何よりもご縁があってのことだとは思うが、「ありがとうございます」と感謝しなければならいのはこちらの方だと思うようになった。
そういえば、記憶の中にある父も母も、野良仕事の忙しい毎日にもかかわらず、地域のボランティア活動にも積極的に携わっていたことを思い出す。
良いのか、悪いのか、どうも両親の血筋を引いているかもしれない。そして、父と母のもとに生まれさせていただいたことに感謝である。
自惚れをお許しください。