食べることは生きるために必要なこと

理事 渡邉雅子

私は、おいしいものを楽しく食べたい、といつも思っています。

歴史からみてみると、文明は食べ物への欲望と共にあり、・・香辛料を求め 砂糖を求め 黒人奴隷の需要を生み、砂糖と奴隷と武器を交換する、悪名高い三角貿易・・紅茶が招いたアヘン戦争・・規格化された味とサービスのファーストフード・・と進んできました。

*縄文時代の人々の食糧は500種以上あったといわれています。

現代人が憧れる田舎暮らしの原点。人類史上最も豊かだったとさえ言われているそう。

*人はビールをつくるために小麦を植えたとの新説

ビール酵母をパンに利用してパンが完成。

ビールつくりは女性の仕事で、女主人の対して

ビールの量をごまかしたら死刑 反逆者にビールを飲ませて見逃したら死刑 女性の聖職者がビールを飲んだら死刑 の法律があった。(女性がお酒飲めないなんて悲しい)

*大航海時代に新大陸からトウモロコシ ジャガイモ サツマイモ パイナップル タバコ トウガラシ トマト マメ ヒマワリ イチゴ カカオ等ヨーロッパに持ち帰り、新大陸にコレラ インフルエンザ マラリア ペスト 天然痘 結核 腸チフスを持ち込んだ・・マヤ文明 アステカ大国 インカ帝国が滅亡(ひどい)

*砂糖づくりに労働力が必要で奴隷貿易が断行(ひどい)

*中国に払う紅茶の代金の膨大でイギリスは銀不足。代わりにアヘンを密貿易。アヘン戦争勃発し敗北した清が1912年に滅亡。(ひどい)

*産業革命から食品の工業化。戦後の人口増加が食料生産の急速な近代化を進めた。生産拡大により飢餓は救われた。けれど気候変動の影響で食料生産地が打撃を受けています。水不足、自然環境の汚染、食べられずに捨てられる食料等の問題が発生。(困った)

生きるための食べ物が利益を生むための食べ物となり、資本主義経済が地球温暖化を招き、地球規模の食糧不足が予想されています。

人の欲望で搾取し戦争を続けた歴史。この歴史を振り返り、皆で思いやり皆で仲良く生活できる環境をつくっていきたい。

健康と環境に配慮するには・・

私が今できることは・・普段から自宅で調理するよう心がけ、食品ロスを最小限に減らします。

規則正しい食生活を心掛け、健康管理を行います。 おわり

恩返しのつもりだったのに

理事 中能 孝則

 日野の町にお世話になって55年目を迎えた。この間4年間は民間の会社に勤務、45年間は財団法人の社会教育の世界に身をおいて来た。

 そこで、多くの人とも出会わせていただき、地域ともつながりができて実に楽しく仕事をさせていただくことができた。ありがたいことです。

 67歳の時に退職し、仲間からのお誘いで地域の居場所づくりのお手伝いをすることになった。私の役割は、ギターを抱えて明治、大正、昭和の童謡・唱歌と歌謡曲をみんなと一緒に大きな声で歌うことであった。

 これがボランティア活動の地域デビューのきっかけである。そして「日野の町にお世話になって50年、何か恩返しをしたい」と思うようになり、気が付けばあちらこちらから声をかけていただき、高齢者の施設を訪問して大きな声で約1時間一緒に歌っている。なんとその数は月に8回にもなる。

 あるとき90歳を超える方から声をかけてもらい。
「今日はありがとう、あなたと一緒にうたっているといつの間にか元気が出てくる」
「何よりも楽しい、生きていてよかったよ」
「また来てください」と励まされた。
もちろんお世辞だとは思う。しかし、お世辞だとわかっていても褒められればうれしいこの私。

 そして気づかせていただいた。合唱団や歌声のサークルにも入っていない自分が、月に7~8回も大きな声を出して歌わせていただくことがあるだろうか、と。

 これは、「恩返しどころではない。むしろ自分の健康のために歌える場をいただいていることに他ならない」と。

 何よりもご縁があってのことだとは思うが、「ありがとうございます」と感謝しなければならいのはこちらの方だと思うようになった。

 そういえば、記憶の中にある父も母も、野良仕事の忙しい毎日にもかかわらず、地域のボランティア活動にも積極的に携わっていたことを思い出す。

 良いのか、悪いのか、どうも両親の血筋を引いているかもしれない。そして、父と母のもとに生まれさせていただいたことに感謝である。

自惚れをお許しください。

伝わる言葉、届かない言葉

副理事長 藤永清和

 言葉は不思議なものだ。ある人には深く響き、またある人には全く届かない。かつて、「あなたの感想とわたしの感想は違うけれども、互いに尊重しよう」という趣旨の文章を書いたことがある。しかし、その反応には共感を示してくれる人はいたが、「意味分かんな~い」の一言だけのものもあった。

 別のときには、異なる経験をした。専門知識のない人には説明が不可欠で、聞く姿勢がある人にはきちんと説明すれば理解してもらえる。説明を求められたからだ。それでも、すべての人に伝わるわけではない。読者が誰なのかを意識することが、文章を書く上で何よりも大切だと痛感した。

 このことを考えると、かつてのパソコン通信のフォーラムでの出来事を思い出す。あるとき、激しい攻撃を受けた。攻撃者は一人。毎日繰り返される非難の嵐。どんなに反論しても、相手には全く響かない。言葉が無力に感じられた。ところが、ある日突然、攻撃は止み、驚くことに詫びが入った。その瞬間、ようやく相手に何かが伝わったのかと思ったが、実際は違った。彼の尊敬する人が、「それはお前が間違っている」と言ってくれたからだった。

 かつて、わたしの先輩は「人には誤解する権利がある」と言った。同じ言葉でも、発言者によって、あるいは聞き手との関係によって、過大評価されたり、激しく敵対されたり、無価値なものと思われたりするものなのだろう。

 言葉は、受け取る側の状況や心持ちに大きく左右される。伝えようとしても届かないこともあれば、思わぬ形で伝わることもある。それならば、無理にすべての人に理解してもらおうとするのではなく、「分かる人には伝わる」ことを大切にするのも一つの在り方かもしれない。それでも、言葉は相手によって伝わり方がさまざまであり、その多様性こそが、コミュニケーションの豊かさであり、新しい発見やつながりを生み出す可能性があるのだと思う。

民主主義は機能している⁈

理事長 湯本とおる

 昨年はアメリカの大統領選挙に揺れた1年だった。何しろあのトランプさんが捲土重来を期して立候補したのだから。

 民主党のバイデンさん有利の予報が流れる中で、でも、もしトランプさんがが勝ったら、という「もしトラ」の空気が濃厚になってきたとき、民主党はバイデンさんから女性候補ハリスさんにバトンタッチしてしまった。テレビ討論では、ハリスさんに余裕が感じられ、トランプさんは「もうテレビ討論はやらない」と宣言。まあハリスさんわずかに有利!の情勢で選挙当日を迎えた。

 だが、民主党の牙城といわれていた州でいずれも惨敗。「もしトラ」が「ほんトラ」になってしまったのは皆さんご存知の通り。

 トランプさんは、私が見るところでは・自分本位・嘘つき・はったり・自己顕示・自慢・・・・・・。

日本人から見たら、上司にも同僚にも部下にももっともしたくないタイプである。でもアメリカ市民から見たら、自分たちの現状を何とかしてくれる頼もしいヤツ、に見えたのだろう。

 一方、私が住む国立市(人口7万5千人)でも市長選が12月15日に行われ、現職の永見さん(75歳)を浜崎さん(40歳)が僅差で抑え当選した。事前情報では、現職の永見さんは特にスキャンダルもなく、着々と実績を積み重ねており、無名の新人を軽く抑える、というのがわたしやわたし周辺の見方であった。それに、現職には自民党・公明党・維新の会・都民ファーストの会が推薦。まさに盤石の体制と思われた。しかしまさかの大逆転満塁ホームラン。私もキツネにつままれたように訳が分からなかった。知り合いに聞くと「ネガティブキャンペーンがひどかったからねー」ということであった。私もそのネガティブキャンペーンに反発して新人に入れた一人である。

 わたしの結果分析は、現職は何もしないでも勝てたのに、衆議院選で敗れた自民党・公明党の推薦を受けたからではないか、というものである。

 さてこの2つの選挙に共通しているのは、交代があったということである。やめてほしい時に市民がやめさせることができること。「民主主義が機能している」とひとまずほっと一息ついたのである。

うちの猫

理事 髙橋 美枝

うちの猫は19歳です。
保護猫施設から2006年にうちに来て、その時点で1歳近くだったので、すでに20歳近い?のかもしれません。

よく食べ
よく寝てます。
若い時はツンケンしていて、寄るな触るなだったのに、今は毎朝、娘と私の膝を取り合います。

年寄り猫のせいか、背骨がポコポコ浮いていて、身体の張りもありませんが、ふわふわの毛並みは変わりなく、大変良い手触りです。
まだまだ元気でいてほしい。
生きてるだけで偉いと褒める毎日です。

昨年10月まで、2匹居ました。
同じ時期にうちにきた子でした。
2匹揃って長寿なので、動物病院から賞状もいただきました。ずーっと2匹で居たので、猫は2匹でないと不自然に感じます。
今は1匹…

先に逝ってしまった子は、とても気が優しくて、身体の大きな子でしたが、うちに来た時から病気がちでした。
2人の子ども達の子育ても一緒にしてくれました。
18年も一緒に暮らしてくれました。
最期の最後まで、自力でトイレに行きました。
本当に偉かった。

ただの思いつきで飼って、気がついたら人生の約半分を一緒に暮らしました。正直言うと、親が死んだ時より泣いています。
たかが猫の子1匹で。
と思っていましたが、とんでもないことでした。

猫は素晴らしい生き物です。

世界人権宣言から80年:現在と未来を考える

理事 槇島和治

私たちは日本の国土に生きています。そして地球人として考えるといまこの星では、あらゆるところで災害や戦争などで多くの人々が被害を受け生命さえも奪われる災禍にさいなまれている。国連が80年前の世界大戦ののちに、世界人権宣言としてすべての人間が生まれながらに基本的人権を有し、尊厳と権利について平等であると宣言しました。国連が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見、国民的出身、財産、地位などによる差別は許されないとして世界人権宣言が発布されたのです。

あらゆるハラスメントが横行して人権がないがしろにされている根源は何か。あれもこれもといってもきりがない。人間にとって何よりも大事な命と健康、そして人権を考えていく。

1年のはじめに自分に向かって発することばとしていきたいです。

理論は学べたのか?

理事 熊谷 亜由美

 私は大学に推薦で入学しました。その大学は私が入学する時に試験科目が社会科2科目から1科目になり、通常の私学の入試と同じになり、1学年100名のところ、初の推薦で3割取るというある意味無謀な入試でした。推薦1期生の私たちはクリスマスまでに合格が決まっていたので、すっかり受験勉強から逃れてしまいました。しかも、推薦入学の試験は小論文と面接だけでした。そのため、入学後、英語力に一般入試の人たちと差が出ました。そして、翌年からは英語力を試す推薦入試となりました。
 また、その当時通っていた予備校はこじんまりしていて、推薦入試だと伝えたら、小論文の練習をしておくように言われ、それは役にたちました。また、合格した時に予備校の校長に伝えたら、「受かると思っていたよ。社会福祉は理論と実践だと言われるけど、君は実践は大丈夫だから、大学行ったら理論を学ぶように。」と言われました。
 みなさんに公言しましたが、社会福祉士の試験を受けるためになかなか進みませんが、勉強してます。制度などは変わっていますが、学生時代に学んだこともあるはずですが、本当に理論が身についていないことを実感してます。
 2月の試験の高い受験料は納めました。もう受けるしかないので、自分を追い込みたいと思います。

アッという間に順番が来て、さて、私のひと息、ため息、心意気は?

理事 川松 ゆり

ひのに出会って、アッという間の35年

とんとん拍子の35年

いい仲間に支えられ

きあいと愛嬌ですたこらサッサ‼

たくさんの人と出会い、学び合い

めがしら,熱くしたことも・・

いじけて、すねて、発奮し・・

きあいと愛嬌ですたこらサッサ‼

ここは私の心の故郷

ここが一番、日野のまち

ろけーしょんは変わっても

いつまでも茫洋としたおおらかさ

きあいと愛嬌で今日も変わらずすたこらサッサ‼

猛禽類天国 パリ 行ってみたい

理事 渡邉雅子

フクロウ大好き
年に数回は銀座のフクロウカフェに出かけます。
店長さんに愛情深く育てられていて、人間との信頼関係ができていているのでグローブなしで撫でることができます。
足は紐でつながられていますが。

本来、猛禽類は餌確保のためにテリトリーが広いそう。
ところが、パリはあちらこちらに巣が密集しています。
パリは周辺に自然公園が多く小鳥がたくさんいます。古城庭園は人の手入れがいきわたり、上空からネズミ等見つけ易い。
餌が豊富にあるので、猛禽類(ハヤブサ、チョウゲンボウ、ハイタカ、フクロウ等)が共存できるとの事。

旅行にはあまり興味のない私だけれど、いつの日かパリに行って、のんびり猛禽類の観察がしたいなー、夢見ています。

子どもの遊びには寄り道こそ必要

子育ては、慌てず、焦らず、諦めず、子どもを信じて

理事 中能孝則

森のようちえんや冒険学校の活動では、寄り道をして目的地に着くまでに予想以上の時間がかかることがあります。途中で倒木を見つけた子どもたちはその木をひっくり返し始めました。苔むした木の中からは様々昆虫が現れます。するとこれはホタルカミキリムシ、これはゾウムシ、これは玉虫と私たちが知らない虫の名前とその特徴を次々教えてくれる子どもがいます。まるで昆虫博士です。

また、昆虫に興味のある子どもたちが集まってきて昆虫談義が始まります。その様子は実に楽しそうで、私たちが入る隙間はなく「そろそろ先に行こうよ」と促すタイミングを考えることもあります。ある日昆虫博士のお母さんにそのことを話すと「この子は小さい時から昆虫に興味を示したので、昆虫図鑑を渡したところ毎日のように見ていて、誰が教えたわけでもないのに様々な昆虫の種類やその特徴などを熱く語るようになりました」と話してくれました。

子どもが興味を示したものをさらに広げてあげることが大切ではないでしょうか。