8月15日について思うこと

理事 中能孝則

この日が来るたびに思い出すことがある。当時我が家にあった白黒TVを食い入るように見ていた時のことである。

その内容は日本軍の活躍を中心にして描かれていたもので、少年時代の私は「日本軍はすごい」と感じながら見ていた。そしてその映画の中で戦死していく兵隊さんたちが口にした言葉は、「〇〇〇〇万歳」であった。

その場面を見ているときのことであった。父は右手に持った鎌でTVにつながっている電源コードを切り捨てた。そして「これは嘘だ」とすごい形相で私たちを睨めつけた。その時の様子は今でも鮮烈に覚えているし怖かった。父からは戦争の話は一度も聞いたことがなかったので本当にびっくりした。

父はこの後一度だけ自分の体験談を話してくれた。

父は通信兵として長崎県の西海橋の麓の施設に勤めていた。

父の業務は終戦末期に、沖縄に向けて飛び立っていく特攻機を誘導する係だったらしい。

そして特攻機からの通信が途絶える寸前には、「〇〇〇〇万歳」ではなく「お母さん」だったとのことある。

そして、「自分たちの過ちを反省し、前を向いてコツコツと努力しなければ平和を維持していくことはできない」と話してくれた。

今日、終戦81年目を迎えた。私は戦争の体験はないが、先人たちがのこした、正の遺産に感謝しつつ、負の遺産にも真正面から向きあい、真摯に受け止める義務があるように思う。

やはり「反省」の上にこそ、平和への道筋ができていくのではないだろうか。

森の中で夢中になって遊び続けている子どもたちを見ていると、なんとしても平和を維持する努力をしなければと思った。

「あたりまえの日常」を、次の世代へつなぐために

理事 藤永清和

「あたりまえの日常」を、次の世代へつなぐために

8月になると、戦争や平和について考える機会が増えます。

 私たちは毎日、ごく当たり前のように家族や友人と話し、好きな場所へ出かけ、地域で集まり、自分の考えを口にしています。病気になれば医療を受け、困ったときには誰かに相談できる。そんな「あたりまえの日常」は、実は平和と人権の上に成り立っています。

 日本の民主主義は、自分たちで戦い取ったものではなく、戦後に憲法とともに与えられたものだ、と語られることがあります。そのため、「与えられたものだから大切さを実感しにくい」と言われます。

 しかし、日本国憲法は同時に、私たちに大切な責任も示しています。第12条には、自由や権利は「国民の不断の努力によって保持しなければならない」と書かれています。つまり、民主主義や人権は、一度手に入れたらいつまでもあるものではありません。毎日の暮らしの中で、一人ひとりが大切に育て、守り続けていくものなのです。

 私たち特定非営利活動法人日野福祉の学校(ひのふく)は、設立以来、「誰もが安心して生きられる社会」の実現を願って活動してきました。それは憲法第25条が掲げる「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を、地域の暮らしの中で少しずつ形にしていこうという思いでもあります。さらに、憲法第13条では、すべての国民が個人として尊重され、生命、自由、および「幸福追求」の権利を持つことを定めています。

 「健康で文化的な生活」は特別なことではありません。しかし今、地域に広がる「子ども食堂」の存在は、日々の食事すら満足に摂ることが難しいという厳しい現実を私たちに突きつけています。戦後80年が経った今もなお、生存権を脅かされる現実がある。その重い課題の前で、私たちは一人ひとりの「幸福追求権(第13条)」にまで、十分に目を向けられているでしょうか。

 学校や社会の息苦しさの中で、時として個人の尊厳がないがしろにされているように感じる今だからこそ、私たちはもう一度、この「幸福」の中身を問い直さなければなりません。本来、「健康で文化的な生活」や「幸福」とは、決して特別なことではないはずです。安心して眠れること。困ったときに相談できる人がいること。年齢や障がいの有無にかかわらず、自分らしく地域で暮らせること。そして、自分の考えを安心して話せる場所があることです。こうした「あたりまえ」が保障されて初めて、私たちは一人の人間として尊重され、自分らしく幸福を追い求めることができるのです。


 もちろん、理想を語るだけでは社会は変わりません。高い理念を掲げても、現実を動かす地道な実践が伴わなければ、長続きはしません。現実を理想に近づけるには、地道な実践と知恵、そして対話が欠かせません。

 地域での小さな集まりや日野福祉の学校が開催する「たまりば」、人と人との何気ない語らいも、その実践の一つです。そこでは、お互いを「一人の人」として尊重し、違いを認め合いながら支え合う関係が育まれています。民主主義は国会だけにあるものではなく、地域の中で人の声に耳を傾けるところから始まるのだと思います。

 私たちが大切にしている「ひと息、ため息、心意気」という言葉には、そんな思いが重なります。疲れたときには、ため息をついてもいい。ため息は、心と体が深呼吸を求めているサインかもしれません。そして、その「ひと息」が、自分だけでなく誰かのことも少し考えてみようという「心意気」につながれば、地域は少しずつ温かくなっていきます。

 平和は、遠い国の出来事ではありません。人権も、法律の条文だけの話ではありません。

 今日も誰もが安心して笑顔で暮らせること。その当たり前の日常を守り、次の世代へ手渡していくこと。それこそが、私たち一人ひとりに託された民主主義であり、人権を守る営みなのではないでしょうか。

芥川龍之介の言葉から

理事長 湯本とおる

・理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。すなわち理想的兵卒はまず理性を、失わなければならない。

・理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならない。絶対に服従することは絶対に責任を負わぬことである。すなわち理想的兵卒はまず無責任を好まなければならぬ。

・我々に武器を執らしめるものはいつも敵に対する恐怖である。しかもしばしば実在しない架空の敵に対する恐怖である。

・人生は地獄より地獄的である。

 芥川の言葉は戦争の一面の真実を表現している。たとえ命のやり取りをする戦場でも「理性を失うこと」も「無責任になること」も非常に困難で、戦争から帰ってくると戦争後遺症で歩けなくなったり精神に異常をきたしたり自殺したりする。

身寄り無し問題

理事 髙橋 美枝

突然、余命を宣告された人がいる。

配偶者も子どももおらず、頼れる親族もいない。
身体は思うように動かず、残された時間も多くない。

そんな時、必要になるのは医療や介護だけではない。

預貯金はどこにあるのか。
公共料金はどうなっているのか。
アパートの解約は誰がするのか。
携帯電話や各種契約の整理はどうするのか。

一見すると簡単な手続きに見えても、本人が動けなくなれば途端に難しくなる。
家族であれば自然に行えることでも、第三者には対応が難しい場面は少なくない。

さらに、その先には死後の問題が待っている。

火葬は誰が手配するのか。
納骨はどうするのか。
遺品整理は。
賃貸住宅の明け渡しは。

いわゆる「死後事務」と呼ばれる手続きだ。

本来であれば、本人の意思が確認できるうちに一つひとつ整理していく必要がある。
しかし、その支援を行う仕組みや制度があっても、準備や手続きには時間がかかることがある。

成年後見制度という仕組みはあるが、本人が亡くなった後の手続きまで担えるわけではない。また、死後の手続きを第三者に委ねる方法もあるが、本人の意思が確認できるうちに準備しておく必要がある。

公的機関は中立性の観点から、特定の民間事業者を積極的に紹介できない場合も多い。

結果として、支援を必要としている人ほど、制度の狭間に取り残されてしまうことがある。

日本の制度は少しずつ変化しているとはいえ、まだまだ「家族がいること」を前提に設計されている部分が多い。

家族がいれば自然に引き受けられる役割を、身寄りのない人が第三者に依頼しようとすると、相応の費用も発生する。

突然、一人で人生の終い支度をしようとすると、その現実に直面する。

高齢化や単身世帯の増加が進む今、これは決して特別な人だけの問題ではない。

身寄りがないということは、単に一人で暮らしているという意味ではない。

人生の最終段階で必要になる数多くの手続きや判断を、誰に託すのかという問題でもある。

最期までその人らしく生きるためには、医療や介護だけでなく、「人生をきちんと閉じるための支援」もまた欠かせないのだと感じている。

温故知新そして明日へ

理事 槇島和治

千葉敦子を知ってますか。

いまから39年前に乳がんのためニューヨークの病院で46歳でなくなった女性ジャーナリストです。

私の自宅に眠っていた、千葉敦子・箙(えびら)田鶴子、往復書簡「いのちの手紙」に目が留まり再読しました。箙田鶴子は仮死状態で生まれ小児麻痺にかかりながら作家活動を通して自立の道を歩んでこられ「神への告発」など著されてます。

ふたりの往復書簡で、お互いの生き方や意見の違う書簡を取り交わしお互いにどう生きどのように思考しているかといったことを赤裸々に手紙にしたためながら激しいやりとりした本です。熱心に茶色に変色した本を読み進めてしまいました。

千葉敦子は「乳がんなんかに負けない」「わたしの乳房再建」、「ニューヨークの24時間」など幾冊もありました。長い時間経過がありました。読み返してなかなか社会が変わらない、むしろテクノ資本主義あるいは選民ファシズムともいわれる社会に向かっていることをあらためて千葉敦子の著書が予感してたのかなとも思いました。

「モノと金の中毒は、アメリカと日本で広がっており個人の心身を蝕んでいるばかりでなく、社会全体を不健康なものにしています。」(千葉敦子・ニューヨークの24時間引用)。

今の社会をどう見ていくかは皆様も様々な思いをお持ちでしょう。

わが家に眠っている著書もブックオフに持ち込んでも段ボールひと箱で150円なんてのは普通です。しかし個人蔵の著書の活用を何か活用できないものかと考えました。

古本として売る、図書館に寄贈する等々方法はあります。

 私が今おもに勤務する町田市を中心にまちのあちこち(店舗や個人宅の軒先)に設置された小さな本棚のネットワークがあります。どこで借りて、どこで返してもいい「循環型」の自由なスペースがあります。知人が町田でご自宅の一角に設置してます。その名称は「きんじょの本棚」。いまでは全国にひろがるネットワークになっています。わたしもその「きんじょの本棚」に手をあげたいと思っています。書き出しの話題からかなり飛躍してますが、書籍文化を守り育てる。そして世代をこえてつながるものを作りたいなと思う今日この頃です。

違和感を抱えたまま、今日を生きている

理事 川松ゆり

最近、情報が洪水のように溢れていて、思いつくままに書いていくと…。

・トランプは国際法に反する行動をしていると言うけれど⇒国際法を知らない。

・イランがホルムズ海峡封鎖で石油危機。⇒石油ってそこでしか採れないの?

・森友学園の文章改ざんが解決しない。⇒赤木俊夫が自殺して8年。

・高市総理の言動、行動が解せないのはワタシだけ?⇒相変わらず支持率が高いのは私のバランスがずれている?

・消費税が無くなる⇒じゃあ、消費税で賄っていたものは何?それらは補填できるの?

TVを観ているとこんな思いが沸き上がる。

同じように仕事でもいっぱい。例えば…。

・ケアマネのシャドーワークが話題になっているけれど⇒シャドーを補填するための社会資源をどう創るかの論議も同時進行で話し合われているかな?

なんて、思う。

知識不足と根気不足が災っている。そんな最近の私です。

日々、多様化していく社会事象に複眼的に距離を持って対応するのは大変。その上、パソコン使用の事柄が日常的になり、その学習に追つけない、落ち着かない私でもあります。

(この文は、トランプが海峡封鎖するというニュースが飛び込む前に書かれた:編集より)

ほっと一息

理事 渡邉 雅子

日々の忙しさに追われるように過ごしていると、ふと立ち止まることを忘れてしまう。朝から晩まで予定に追われ、気づけば一日が終わっている。そんな毎日の繰り返しだ。

 それでも、人のやさしさや温かさに触れる瞬間があると、心がふっと軽くなる。何気ない一言や、さりげない気遣い。そうした小さな親切が、心を優しく包み込んでくれる。

 先日の朝、会社の玄関に着くと、そこに思いがけない来客がいた。狸の親子だ。親狸と子狸が二匹、ガラス越しに中をじっと見つめている。まるで「おはようございます」と挨拶に来たかのようだった。

 「はーい」と声をかけると、親子は慌てて逃げていった。その後ろ姿を見送りながら、思わず笑顔になっていた。なんとほほえましい光景だろう。こんな小さな出来事が、一日のスタートを温かいものにしてくれる。

 完璧でなくてもいい。できる範囲で、一生懸命に、心を込めて。そうやって日々を過ごしていけたらと思う。そして、誰かの「ほっと一息」になれるような、そんな温かさを自分も周りに届けられたら。

 今日も、また新しい一日が始まる。

1月いく、2月にげる、3月さる

理事 熊谷 亜由美

 フルで仕事をしている時は、1月いく、2月にげる、3月さる…とこの時期になると気持ちの上でもバタバタしていました。ところが、退職してから、えっ〜? この時期こんなにのんびりしていていいんだと驚きました。そんな働き方になって2年目が終わります。いつまで仕事できるんだろう? 仕事するんだろう?という思いはつきまとっています。まわりは身体が動くうちは仕事した方がいいというけれど、例えば、重症心身障害児の仕事だと、彼らを抱けなくなったら難しいかな…と身体の動きだけではないと思います。基本、身体には自信あったのですが、やはり寄る年波には勝てないことを痛感してます。先日、人が足りずに放課後等デイサービスの仕事で1日勤務をしました。(放課後等デイサービスの仕事は基本午後から勤務をしてます。)これを週に何日もはできないし、とても疲れました。
 さりとて仕事を辞めたら、ほんとにな〜んにもしないでダラダラ過ごすだろうことも自覚しています。高齢者に片足を踏み入れ、これから先の働き方と暮らし方を考えながら、たぶん来年度は今年度並の仕事をすると思います。これも雇ってくれるところがあるおかげでもあります。自分の身体を労りながら、もう少しこんな感じで行こうと思う今日この頃です。そして、3月末のドタバタと新年度に向けての準備に追われなくて済んでいることに感謝します。
 おまけですが、くまがいがずっと活動してきた障害者青年・成人学級が50周年を迎えました。そして日野市障害者関係団体連絡協議会も50周年を迎えます。日野のまちの中で、続いて来た障害者関係の活動、形は変わってきていますが、これからもよりよい形で進んでいくことを願っています。

初めての広島で暖かい心に出逢う

理事 中能孝則

 NPO法人森のようちえん全国ネットワーク連盟主催の安全講習会を広島で行うために、前日入りで市内の丘の上にある神田山荘にお邪魔しました。

 その日は新幹線に乗り、午後1時半頃に広島駅に到着。宿舎の神田山荘までは新幹線口から、無料の送迎バスがあることは事前に調べていたので、改札で駅員の方にバス乗り場を伺ったら「直ぐですよ」と教えてくれてので、そちらに向かって歩き出す。

 しかし、しばらく歩いてもまだ駅舎を出ない。方向を間違えたかな、と思ってキョロキョロしていたら、広島県警のご年配のおまわりさんが通りかかったので、声をかけさせていただいた。

 直ぐに携帯で調べてくださり、「方向が逆ですよ」とのこと。「ありがとうございます」といって、逆方向に歩き出す。すると、「分かりづらいですので出口まで私も一緒に行きましょう」と、着いてきて下さった。

 外に出ると「あのホテルの裏側だと思います」と教えて下さった。そして「バスは何時ですか」。
「2時5分です」
「間に合いますね」
「暑い中をわざわざありがとうございました」と、御礼をいうと。
「私もバス停まで行きましょう」とのこと。
「いや、ここまで案内していただければ後は大丈夫です」と、答えると。

 「私も、勉強のために、そのバス停を知っておきたいのです」と、最後まで案内して下さった。そして、「あ、あそこがバス停ですね」と、指さされた、するとバス停にいた仲間が「中能さんここです」と、声をかけてくれた。

「お友達とも出会えてよかったですね」と、再び話しかけて下さった。
ありがとうございました。数回頭を下げて仲間の元へ向かう。
振り返ると、そこにはもうおまわりさんの姿はなかった。

 無事に仲間と出会えて本当に良かったが、私は、「おまわりさん、私は、あなたと出逢えて本当に良かったです」と、心の中で感謝の言葉をつぶやいた。そして、疲れが一気に吹き飛び、自分も、あの様な優しさを身につけた人になりたいと思った。
何より、明日からの講習会が楽しみになってきた。

諦観

理事 藤永清和

ロシアの戦争や中国の横暴、トランプ、プーチン、習近平が世界を牛耳ろうとしているとき、私たちの無力さに諦め、絶望を感じる。バイデン政権のウクライナ支援も限定的だった。戦争をエスカレートしないために強力な武器を提供しないというのは、矛盾している。エスカレートする力がある限り侵略戦争をやめる理由がないではないか。トランプ政権が領土の譲歩による早期和平を描いているとしても、プーチン大統領が掲げる「ネオナチ掃討(現政権の排除)」や「NATO拡大阻止」が本質的な目的であれば、領土交渉では解決に至らない。領土拡張が唯一の目的ではないため、領土交渉だけでは解決しない ので、簡単には終わらないと考えるのが自然。

中国と日本が戦争することはないと思う。日本はアメリカが中国から攻撃されたときに参戦できると考えているが、アメリカと中国が直接戦争するとは考えにくいからだ。朝鮮戦争もベトナム戦争も代理戦争だった。現在は、当時よりはるかに経済的な相互依存が強い。「台湾有事」がその直接対決の引き金になる可能性が世界中で議論されているが、トランプの言動から、直接的な軍事衝突を避け、実利を優先する傾向がみられる。

日本も核武装すべきだという意見もある。その意見の主は、核攻撃をする覚悟があるのか。核攻撃した時の反撃を覚悟しているのか。相手が日本は核を持っても使えないと判断したら抑止力にならない。

こうした複雑なジレンマに個人の力で立ち向かう限界の中で、絶望の淵に転げ落ちないために、私たちにできることは諦観。辞書には、本質を明らかに見て取ること。悟りの境地にあって物事をみること。とある。諦観は、現実を受け入れ、自然の流れに従うことを意味する。巨大な濁流の中で、絶望に飲み込まれないための知恵が「諦観」ではないか。世界の理を直視し、自分に動かせるものと動かせないものを認識する必要がある。そのための諦観である。

そして、世界は変えられずとも、せめて隣にいる人との関係は自分の手で築ける。それこそが、この混迷の時代において、私たちが自分自身の手で守り抜ける、唯一の確かな足場なのだと思う。