ブギちゃん

理事 大塚喜久子

NHK朝の連続ドラマ、ブギウギが放映されました。私がこの話を書く今、なんとタイムリーな事かと思い、私には先見の明があったのかと自画自賛してます。

 今から20年ぐらい前、近所の巣箱から巣立ちしたヒナ達がいました。その一匹が未熟鳥で巣だちに失敗。ヒナのSOSの声を聞付けた私が外に出ると、我が家のドア下隅に蛾のようにへばり付いているヒナ鳥がいました。隣は野良猫のたまり場で2?3匹がたむろしてます。よく捕まらず助かったと思います。未熟鳥は同じヒナ達の半分か3分の2位の大きさでした。助からないかな?と思いましたが、お腹が空いていたのか、最初からスリエをパクパク食べてくれました。親鳥や兄弟が来るかとカゴに入れて外に出し様子をみました。何度か近づきましたが、その後は来ませんでした。家族はヤマガラだったら、おみくじ引いたり出来たのにと残念そうに言います。それなら東京ブギウギでも踊ってもらおうと、私は【ブギちゃん】と名付けました。ブギちゃんはシジュウカラです。家の中でも飛ぶ力は弱くヨタヨタ歩いていました。当時飼っていたメダカの水槽に落ちてアップアップしたり、慣れてきたら食卓の上を動き回ったり、愛嬌のある子でした。鍋の蓋に浅く水を入れて、流しで水浴びするのが好きでした。自然界では生きていけないと悟っているのか、自分のカゴが一番安心する様でした。日光浴はカゴごとそとに出しても、隣の猫が狙っているので付添、見張りが必要でした。こんな小さな鳥なのに、すっかり家族の一員となり、なんと約10年間生きてくれました。老鳥になりブギちゃんの眼も人間の白内障の様になり、見えづらくなりました。自分でカゴの外に出て遊び、自分でカゴに戻る様になりました。

 ある夏の終わり頃、私が帰宅するとカゴの天井につかまっていました。私がブギちゃんただいまと声をかけると、一声鳴いたように思いましたが、ポトリと落ち、そのまま旅立っていきました。私を待っていてくれたのかと涙が止まりませんでした。こんな小さな鳥がなんと大きな安らぎや、癒しをくれたのかと、ただただ感謝あるのみです。10年間も一緒生活してくれたブギちゃんに家族は感謝を彫りました。

【シジュウカラのブギ      鳥に産まれ天空を舞うことのできなかった君         でも君はえがおとかんどう、そして授かった命を生きぬく勇気をおしえてくれました】と

詩形式の基本である短歌を私も味わってみた

理事 槇島和治

ことしのNHK大河ドラマは源氏物語の作者、紫式部が主人公の雅な平安時代を描いてます。ゆったりしたドラマの展開は荒々しい武将ドラマより私には心地良いものを感じます

詩形式の基本である短歌を私も味わってみようと思いました。

1 今 語るべき決意があり明日があり崩れてはならぬ人間の心

2 世界・理性あなたの痛みが私の痛みである時 無力なれども祈る

3 帰りたい帰りたいの願望の極まるころか 飴を掌に乗す

4 夫の死後何せん思いの明け暮れに 介護相談員を転職に決む

5 たそがれに遊ぶ孫たちブランコに 興じる笑顔 明日をみてる

1,2は中学時代の歌人の友が30代に詠んだ歌集から、3,4は町田市在住歌人の歌集からです。この方は市から委嘱をされ介護施設で介護相談員としてボランティアをされてます。5は私です。前述、町田の歌人から初めてにしてはいいんじゃない、でもひねりや推敲をしていきましょうとのご指導をいただく。

日常のあわただしさに心もざわつくこともおおく、短歌なんてと思っていたのですが、こんなに短い詩で気持ちが少しやわらぎます。

俳句や短歌はこれまで人ごとのように考えてましたが、こんなに身近にあり豊かな思いを込められるなんてと、大河ドラマ推しの今日この頃です。

リタイア後の自分の生き方

理事 熊谷 亜由美

3月いっぱいで仕事に区切りをつけます。市役所職員になり5年、そして再任用で5年、10年仕事をさせていただきました。市役所職員の大先輩に「辞めたらそこの悪口は言うな!」と言われて、肝に銘じようと思ってます。悪口ではなくても、言いたいことは山程あります。でも、10年いさせていただいたことに感謝します。

もともと民間で仕事をしてきて、役所の流儀に馴染めないことはたくさんありました。なのでこれからは市役所の看板をおろすことができます。ある意味大きな後ろ盾はなくなるかもしれませんが、自分のスタンスで暮らして行きたいです。

残り2か月半、身辺整理をしながら、スムーズに職場を去りたいです。元来お片付けが苦手で、10年間溜め込んだものを整理して、立つ鳥跡を濁さずを目指します。先のことは未定ですが、身体が動くうちに自分のやりたいことにシフトチェンジをしていきます。それと、ここで宣言しておけばやるかも、との思いを込めて、社会福祉士の受験勉強をしようと思ってます。やりたいことと受験は定年後にやると言ってきたので。受験勉強については、私を見かけたら「やってる?」と声かけてください。若干、他力本願ですが、今年の抱負も含めてここに宣言します。

今年の幕開けは大地震でした。これに対して私にできることは少ないけど、できることを地道にやっていこうと思います。

食べる事が好き

理事 渡邉雅子

「ママはお料理が趣味なんだね」と娘に言われました。
趣味 と思ったことはなかったけれど、
時間があれば「何を作ろう」と考えるし
食べると「幸せ」と思う。

料理家の先生の様に自分で一から作る事はできないけれど
今の世の中とても便利で
パソコンでレシピが山ほど検索できる。

朝起きて
朝食用意し、お昼のお弁当詰めて、夕食準備。
夕食のおかずにラップをかけて、冷蔵庫にしまい出勤。

一日の調理を朝3時間程度に集約して行う毎日。
週末 時間があると追加で調理。

”食べて、運動して、眠る”が健康の秘訣と信じてます。

大好きな食べる事を大切に、
時々はお酒も楽しみながら
皆様と活動していきたい、私です。

最近つらつら思うこと。なんか変?

理事 川松 ゆり

TVを見ていたら「いい人過ぎる美術展」何ぞというものが各地域で開催され大盛況とのこと。日常に潜む「いい人」たちに出会う展示会だそうな・・。

「いい人」を集めての美術展は大成功だったようで、観覧者のなかには感動を声高に話していた人もいた。「いい人がニュースになる世の中なの?・・。」

また、他方でホストクラブの「売掛金」がニュースになっていて、ホストクラブの経営者、店長が「このような無謀な料金請求はあってはならない。」「関係者にも声をかけてこのようなことがないようにしたい。」何ぞと話していた。

私の常識ではホストクラブは大金持ちの有閑マダムや玄人の人たちが、事柄を十分理解していく所と思っていたが、映像を見ると少女のような娘が「あの人だけは自分に優しくしてくれる。だから、また、行って優しくしてもらう。」と、しかし、その代金が「売掛金」の名目で借金となり、少女がお金を払えないと売春等を斡旋し料金を支払わせる。こうした「売掛金」地獄に嵌ることが社会問題となっている。そして、前述のようにホストクラブの経営者が責任逃れのあさましい空言を吐く現実。本当に公正な料金が提示され、商売になるのかな?

以前、談志が「嫌な時勢というが、嫌なことがニュースになることは良いよ。良いことがニュースになったらおしまいよ。」と言っていた。

「いい人」がニュースになる。そんなに私たちの日常は殺伐としている?

ホストクラブが絵空事を振りかざす。少女たちがホストに求める心の拠り所は・・?

なんか変? 世の中のバランスが狂い始めている。いや、人間社会が狂っている。

子どもの焚き火体験を応援するグッズ

『手作り火吹き竹』

(昔の人は知恵を出して豊かな生活を作り出していたことに学ぶ)

理事 中能孝則

そんなに遠くない昔。子どもたちは、地域の広場や自然の中で仲間と群れて遊ぶことが日常的でした。川遊びをしたり、海で貝や魚を採ったり、野山では木の実を採ったり、野生動物を追いかけまわしたり、地域の広場では缶蹴りや鬼ごっこ・チャンバラなど、日が暮れるまで夢中になって遊んでいました。
そしてこれからの季節になると焚き火を楽しんだ記憶がよみがえってきます。
中間と寄り合って焚き火を楽しみ、そのぬくもりも感じることができました。そして火の怖さについても、十分に体験することができたように思います。
そのような視点から、
子どもの焚き火体験を応援するグッズの一つである、火吹きだけについて、能書きをしたためてみました。

資料作成:NPO法人森のようちえん全国ネットワーク連盟 中能孝則

田舎の生活にタイムスリップしてみると懐かしい生活様式が思い出される、その一つに火吹き竹がある。長めの火吹き竹だけは五右衛門風呂を炊くときの必需品(写真上段)で、短めの火吹きだけは土間にあったかまどで使われていた(写真中断)。写真下段は竹の曲がり具合が気にいったので只今制作中の竹)

この火吹き竹も最近ではキャンプの時の火おこし以外は必要性を感じないが、火吹き棒という名で調べてみると、数百円のものから1万円くらいまでさまざまであり、伸縮して持ち歩きしやすい物から長いものまでデザインも豊かで個性あふれるたくさんの種類が販売されている。ここまでくると実用品というよりコレクションではないだろうかと思うこともある。

 また、火吹き竹を調べてみると、なんと千円から3千円くらいまでこれまたバラティーに富んだものが販売されているから驚きである。

しかしここで紹介する火吹き竹はまだどこでも見たことがないような気がする。となると私の生まれ故郷である甑島(こしきしま)のオリジナルではないだろうか。と勝手に思い紹介させていただきます。

その特徴は先端部分の二本の角である。なぜ角があるのか小学生のころ父に聞いたことがあるが、父からは二つのことを教えてもらった記憶がある、一つ目は竹の先端で生火を押したりずらしたりするときに、この角があることで、竹の先端が焦げないようにしてあるとのことであった。もう一つは息を吹きかけると竹の先端に空いている小さな穴から勢いよく風が出るのであるが、角のあるおかげでその風の勢いが増すとのことであった。

二つめの理由については検証したわけではないので、正しいかどうかは定かではないが、小さい時に教わったものは今でもしかりと記憶に残っていて、竹とノコとキリと節を抜く鉄の棒があればすぐにでも作ることができる。

最近では田舎でも風呂に入る前にお湯用の蛇口をひねれば数分で風呂に入ることができて便利である。しかし私は、田舎に帰ると今でも五右衛門風呂を焚いてもらうことがある。火吹きだけはその風呂焚きの必需品であり、所定の場所に鎮座している。また、薪で沸かした五右衛門風呂にはいると身体の芯まで暖かくなり湯冷めもしないような気がする。

たかが火吹き竹、お金を出せばすぐに買えるこの時代であるが、記憶の根底にあるのは生活の不便さを解消するために先人たちが知恵を出して作り出されたものである。

生活は便利な方が良いことは百も承知であるが、便利さに隠れて知恵を出す機会が少なくなってはいないだろうかと思う今日この頃である。

私の山荘ではBBQやたき火には、今でもこの火吹き竹を使っており欠かすことのできない友である。 そして、私は『森のようちえん冒険学校』の執筆にあたり、幼児青少年のうちに、火遊びの楽しさと火の怖さの体験を心と体にしっかりとしみ込ませてほしいと願っています。

未来が見えない時代に

副理事長 藤永清和

 先日、福山まで700km強走った。ナビでは走行時間約8時間半だったが12時間かかった。2回の給油と休憩、物見遊山のためだ。自然吸気の軽ハイトワゴンでは少しの上り坂でも新東名の制限速度の時速120kmを維持できなかった。長距離(長時間)走るとシートの座り心地も気になった。今乗っている車も10年になる。あと5年くらい乗るつもりだったが、もう少し快適で自動ブレーキなどの安全装備を持った車が欲しくなった。軽の電気自動車は圧倒的なトルク(駆動力)のため重い車体でも加速は良い。しかし、安心して走れる距離は100kmくらいで充電に30分かかるので長距離ドライブには使えない。電気自動車は将来、自然エネルギーで発電できる時代になれば停電時の電源にもなると思っている。しかし、現在は化石燃料と原子力で電気を作っているので環境対策にはならない。いずれは自然エネルギーを用いて二酸化炭素を回収し水素を作って合成燃料を作れる可能性もある。

 近年は気候変動が明らかに災害を起こしている。二酸化炭素を吸収する森林が火災によって失われている。今年の夏は、「熱中症対策のためにエアコンを使え」と盛んに言われた。エアコンの使用も周囲を暑くする。新型コロナウイルス感染対策に窓を開けて換気すれば冷暖房の効果を弱め、さらにエネルギーが必要になっている。

 ロシア・ウクライナ戦争は終わりが見えない。アメリカは勝たせないように配慮しながらウクライナを支援している。これはロシアの核抑止力が働いているからと思われる。

このような状況下で、私たちに何ができるのか。みんなで考えてみたい。

私たちを縛る嫌ななことば

理事長 湯本 宣

 この世に生まれて自分がどう感じるか、ということから人生が始まるのだと思います。もちろん物心がつく前、自分という意識もないまえです。

私の知人が「ひとには探索行動というものがあって、本来的に備わったものです。」というお話でした。その時の記憶があいまいだったのでネットで探ると「探索行動は、子どもが目に映るものや耳に聞こえるものに対し、強い好奇心を抱き探ろうとする行動」とありました。

 私たちはその人間としてのスタートから探索行動をしないよう育てられます。社会に合わせられることを「しつけ」と称して。探索の好奇心が満たされることはなく、大人の都合の中で生きていくしかありません。

それが、おそらく何世紀来続いています。そのように育った親が子どもに「探索行動のままに生きていては人の世でいきてはいけない」と教えているのです。

それに拍車をかけているのが学校生活です。

いつも正しい答えを求めることを教え、正しいこたえを握っているのは教師といわれるひとたちです。この教えは高等学校まで続いてその総仕上げは入学試験。大学の4年間では抑圧された探索行動の息を吹き返すことはできません。

社会に出ると「創造性や個性的なあなた」が求められていますが、ただし「規範や前例を逸脱しないように」との条件付きで。

そんな世界、そんな窮屈な生活から抜け出したいですね。

「KY(空気が読めない)」という私たちを縛る嫌なことばのない世界へ!

盆踊りの思い出

理事 髙橋 美枝

北海道の生まれです。
夏が近づいてきて思い出すのは、
子どもの頃に住んでいた、公住の中の公園で、毎年やっていた盆踊り。

「ちゃんこ ちゃんこ ちゃんこ」と
何度も使って擦り切れたテープで放送される、こちらでは聞かない独特の盆踊り唄。
この日はあたりが暗くなっても、近所の友だちと公園に集まれる、特別な日。
赤い提灯が灯るやぐらの周りを、蚊に刺されながらぷらぷらと踊った、小さな子どもの頃の記憶。

私は少し変わった家庭環境の子どもだったかもしれませんが、
こうやって生き残ることができたのは、あの地域の皆様の、温かい保護のおかげです。
おかげ様で、こうやって大きくなれました。
今年も暑くなりそうですね。
ありがとうございました。

カラスに飛ぶことを教えたおばさん

理事 大塚喜久子

チリ出身の作家、ルイス=セプルベダの小説[カモメに飛ぶことを教えた猫]を知ってますか。私はカラスに飛ぶことを教えたおばさんの実話を紹介します。日本野鳥の会は、野鳥を拾ってはいけないと言いますが、我が家には、巣立ちに失敗したスズメ、ツバメ、シジュウカラ、メジロなどが、どう言う訳か寄って来るのです。
ある日、雨に濡れてうずくまっているカラスを助けてほしいと、友人が言ってきました。今までの中では一番の大物でした。ケガをしている様ではないのに、逃げない、羽ばたもしない。しばらく飼っている内に眼がおかしいと気がつき、鳥もみてくれる病院へ連れて行きました。先生には「カラスは病気~を持っているから直ぐ放しなさい」と言われました。そんな事言われても飛べないし、エサも探せない、猫にでも喰われろと言う事か?それでも諦めず、放すためには、飛べなければダメと確信。それから毎日カラスに飛ぶことを教えました。カラスはカンタと名付けました。家の中のどこで訓練できるか!風呂場しかありません。風呂場に新聞紙を敷き詰め、野球のバットに捕まらせ、上から下へ降ろす。毎日、毎日、何度も何度も繰り返した。少しずつ調子がわかってきたのか羽ばたくようになった。10日間ぐらいして外に出してみた。近くの低い木に止まったが、何時間も動かない。これじゃダメだと再び捕まえて、訓練を続けた。その間夜明けになると、エサをくれとカァーカァー鳴く。マンションなので、大塚さんちはカラスを飼っているの?と苦情。鳴く前にエサをあげて静かにしろと教えてた。体がデカイので糞も大変だった。1個がスズメやツバメの10倍ある感じ。1ヶ月ぐらいして、だいぶ体力も羽の力もついてきたので、再び外に出してみた。飛んだ、飛んだ、飛びました!マンションの屋上まで飛べました。嘘のようだけど、私の上を一回りして「カアー」と一声鳴いて飛び去って行きました。しばらくはカラスを観ると「カンタ!」「カンタか?」と呼んでいました。カンタがあれからどうしたか私にはわかりません。おしまい。