初めての広島で暖かい心に出逢う

理事 中能孝則

 NPO法人森のようちえん全国ネットワーク連盟主催の安全講習会を広島で行うために、前日入りで市内の丘の上にある神田山荘にお邪魔しました。

 その日は新幹線に乗り、午後1時半頃に広島駅に到着。宿舎の神田山荘までは新幹線口から、無料の送迎バスがあることは事前に調べていたので、改札で駅員の方にバス乗り場を伺ったら「直ぐですよ」と教えてくれてので、そちらに向かって歩き出す。

 しかし、しばらく歩いてもまだ駅舎を出ない。方向を間違えたかな、と思ってキョロキョロしていたら、広島県警のご年配のおまわりさんが通りかかったので、声をかけさせていただいた。

 直ぐに携帯で調べてくださり、「方向が逆ですよ」とのこと。「ありがとうございます」といって、逆方向に歩き出す。すると、「分かりづらいですので出口まで私も一緒に行きましょう」と、着いてきて下さった。

 外に出ると「あのホテルの裏側だと思います」と教えて下さった。そして「バスは何時ですか」。
「2時5分です」
「間に合いますね」
「暑い中をわざわざありがとうございました」と、御礼をいうと。
「私もバス停まで行きましょう」とのこと。
「いや、ここまで案内していただければ後は大丈夫です」と、答えると。

 「私も、勉強のために、そのバス停を知っておきたいのです」と、最後まで案内して下さった。そして、「あ、あそこがバス停ですね」と、指さされた、するとバス停にいた仲間が「中能さんここです」と、声をかけてくれた。

「お友達とも出会えてよかったですね」と、再び話しかけて下さった。
ありがとうございました。数回頭を下げて仲間の元へ向かう。
振り返ると、そこにはもうおまわりさんの姿はなかった。

 無事に仲間と出会えて本当に良かったが、私は、「おまわりさん、私は、あなたと出逢えて本当に良かったです」と、心の中で感謝の言葉をつぶやいた。そして、疲れが一気に吹き飛び、自分も、あの様な優しさを身につけた人になりたいと思った。
何より、明日からの講習会が楽しみになってきた。

諦観

理事 藤永清和

ロシアの戦争や中国の横暴、トランプ、プーチン、習近平が世界を牛耳ろうとしているとき、私たちの無力さに諦め、絶望を感じる。バイデン政権のウクライナ支援も限定的だった。戦争をエスカレートしないために強力な武器を提供しないというのは、矛盾している。エスカレートする力がある限り侵略戦争をやめる理由がないではないか。トランプ政権は領土交渉が可能だと考えているとしたら、ロシアは領土拡張のために戦争(特殊軍事作戦)を始めたわけではない(プーチン大統領の主張(NATO拡大阻止やネオナチ掃討))。領土拡張が唯一の目的ではないため、領土交渉だけでは解決しない ので、簡単には終わらないと考えるのが自然。

中国と日本が戦争することはないと思う。日本はアメリカが中国から攻撃されたときに参戦できると考えているが、アメリカと中国が直接戦争するとは考えにくいからだ。朝鮮戦争もベトナム戦争も代理戦争だった。現在は、当時よりはるかに経済的な相互依存が強い。「台湾有事」がその直接対決の引き金になる可能性が世界中で議論されているが、トランプの言動から、直接的な軍事衝突を避け、実利を優先する傾向がみられる。

日本も核武装すべきだという意見もある。その意見の主は、核攻撃をする覚悟があるのか。核攻撃した時の反撃を覚悟しているのか。相手が日本は核を持っても使えないと判断したら抑止力にならない。

こうした複雑なジレンマに個人の力で立ち向かう限界の中で、絶望の淵に転げ落ちないために、私たちにできることは諦観。辞書には、本質を明らかに見て取ること。悟りの境地にあって物事をみること。とある。諦観は、現実を受け入れ、自然の流れに従うことを意味する。巨大な濁流の中で、絶望に飲み込まれないための知恵が「諦観」ではないか。世界の理を直視し、自分に動かせるものと動かせないものを認識する必要がある。そのための諦観である。

そして、世界は変えられずとも、せめて隣にいる人との関係は自分の手で築ける。それこそが、この混迷の時代において、私たちが自分自身の手で守り抜ける、唯一の確かな足場なのだと思う。