平和について

中能孝則

50年以上も前のことになるが、平和について父が語ってくれたことを思い出すときがある。父いわく、平和とは「全ての人々が平たく、禾(のぎ)を口にできることである」と教えてくれた。また、禾とは稲、麦、稗、粟などの穀物の総称であるとも教えてくれた。

そのようなことを思うとき、ある日の母の姿も思い出すことがある。

母は、午前中の農作業のあとに昼ご飯をいただいたきその後昼寝をするのであるが、その時に「あー、極楽、極楽」とつぶやきながら風通しの良い畳の上に横になり、ひと眠りしていた。そして目が覚めると夕方までの段取りを確認するようにつぶやき、再び野良仕事に出かけていく。

昼飯と言っても、麦のご飯に味噌汁、たくわんやラッキョウ、イワシの煮干、大根の煮つけ程度の実に質素な昼ご飯であった。

私が祖母から聞いた極楽とは、「桃の花が咲き誇っていて、この世では味わうことの出来ない超楽しいところで、毎日美味しいごちそうを食べることができるところだ」と教わった記憶があり、母がつぶやく極楽とは雲泥の差があった。

しかし、いま改めて思うと、「ご飯が食べられて昼寝ができること」が極楽だということが理解できるような気がする。

そのようなことを念頭に置きながら私たちの国日本を見てみると、この国は今本当に平和だろうかと思うことがある。うがった見方かもしれないが、戦争がないだけまだましだと思えばそうかもしれないが、本当にそうだろかと思うのである。

ウクライナに平和が訪れ、「全ての人々が平たく、禾を口にできる」日が一日も早く来ることを心から願いたい。

“平和について” への2件の返信

  1. ロシアのウクライナへの侵略戦争に思うのは日本のこと。
    ロシアと大日本帝国。
    ベラルーシとベトナム戦争当時の日本。

    それと、スターリンもプーチンもツァーリになろうとしたのだと思います。それにしては、なぜ戦力を逐次投入したのか不思議でなりません。アメリカのイラクへの戦争はひどいものでした(混乱を増やしただけですが)。大日本帝国は、すべての指導者が負け戦になることをわかっていて戦争に突入しました。自己保身が誤った道に進ませました。

    さて、問題は「私たちに何ができるか」です。

  2. 私の子供時代は、ご多分に漏れず、というかわれわれの目にするところは、みな貧しさの真っ盛り。継ぎの当たった衣服を毎日着たきり雀のように着て汚れでてかてかに光っていた。それこそ質素な食事でケーキもバナナもステーキ刺身も食べたことはなかった。家にたった1台の自転車を三角乗りして通学したり・・・。話し出せばきりがない。
    そして60年たった今は、極楽を通り超えて夢のような世界に住んでいる。キリスト教でいえば天国。仏教でいえば中能さんのおばあちゃんのいわれた極楽の真っただ中。これを幸せといわないでなんとしょう⁉
    日本のある哲学者は「足るを知らなければ幸せはえられない」といったという。中能さんのお母さんは「足るを知っておられた」ので心底極楽を味わえたのでしょうね。

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