私たちを縛る嫌ななことば

理事長 湯本 宣

 この世に生まれて自分がどう感じるか、ということから人生が始まるのだと思います。もちろん物心がつく前、自分という意識もないまえです。

私の知人が「ひとには探索行動というものがあって、本来的に備わったものです。」というお話でした。その時の記憶があいまいだったのでネットで探ると「探索行動は、子どもが目に映るものや耳に聞こえるものに対し、強い好奇心を抱き探ろうとする行動」とありました。

 私たちはその人間としてのスタートから探索行動をしないよう育てられます。社会に合わせられることを「しつけ」と称して。探索の好奇心が満たされることはなく、大人の都合の中で生きていくしかありません。

それが、おそらく何世紀来続いています。そのように育った親が子どもに「探索行動のままに生きていては人の世でいきてはいけない」と教えているのです。

それに拍車をかけているのが学校生活です。

いつも正しい答えを求めることを教え、正しいこたえを握っているのは教師といわれるひとたちです。この教えは高等学校まで続いてその総仕上げは入学試験。大学の4年間では抑圧された探索行動の息を吹き返すことはできません。

社会に出ると「創造性や個性的なあなた」が求められていますが、ただし「規範や前例を逸脱しないように」との条件付きで。

そんな世界、そんな窮屈な生活から抜け出したいですね。

「KY(空気が読めない)」という私たちを縛る嫌なことばのない世界へ!