私たちを縛る嫌ななことば

理事長 湯本 宣

 この世に生まれて自分がどう感じるか、ということから人生が始まるのだと思います。もちろん物心がつく前、自分という意識もないまえです。

私の知人が「ひとには探索行動というものがあって、本来的に備わったものです。」というお話でした。その時の記憶があいまいだったのでネットで探ると「探索行動は、子どもが目に映るものや耳に聞こえるものに対し、強い好奇心を抱き探ろうとする行動」とありました。

 私たちはその人間としてのスタートから探索行動をしないよう育てられます。社会に合わせられることを「しつけ」と称して。探索の好奇心が満たされることはなく、大人の都合の中で生きていくしかありません。

それが、おそらく何世紀来続いています。そのように育った親が子どもに「探索行動のままに生きていては人の世でいきてはいけない」と教えているのです。

それに拍車をかけているのが学校生活です。

いつも正しい答えを求めることを教え、正しいこたえを握っているのは教師といわれるひとたちです。この教えは高等学校まで続いてその総仕上げは入学試験。大学の4年間では抑圧された探索行動の息を吹き返すことはできません。

社会に出ると「創造性や個性的なあなた」が求められていますが、ただし「規範や前例を逸脱しないように」との条件付きで。

そんな世界、そんな窮屈な生活から抜け出したいですね。

「KY(空気が読めない)」という私たちを縛る嫌なことばのない世界へ!

“私たちを縛る嫌ななことば” への2件の返信

  1. そういえば、「我が家の三人の娘はそれなりに自立しているけど、いまだに卒園しない5歳児が一人います。」と。
    いわれたことがあります。もちろん私ではないと思いますが。
    私は今でも、探索行動を続けているのだろうか。
    ???。

  2. 空気、集英社国語辞典の②には、「その場の気分・状態。雰囲気」とあります。山本七平は「空気の研究」を上梓した。この本を読んでいませんが、「『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かもしれない」といっています。
    空気は集団浅慮へと流れると思います。

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