自分らしい生き方を探る 11月24日

出席:湯本 梅崎 川松 米沢 藤永
記録:大塚
8月25日開催予定がコロナ拡大のため、本日に延期。その前は6月23日開催で”共生”などが話題になった。次回は”人権” “自己決定”などを話題にしたい
との事でした。ところが5ヶ月も過ぎてしまい、メンバーも変わり、前回の話題を継続するのは無理と担当者判断。今回は初めての方も参加されているので、自己紹介と近況報告の中から、話題をみつける事にした。
6名と言う少人数はグループ討議には最適と、私は思っているので今回は良かった。そして新しい方が一人でも加わると、全体の雰囲気がこんなにも変わるものかと実感した。また何度も出てくる話だが、デンマークの旅での出会いが”福祉の学校”のスタートになった事を改めて確認。久しぶりに設立趣旨書を読みました。「デンマーク定住の方から日本は変わらないね」と言われ、20年以上も前に福祉の学校を立ち上げたそうだ。
今回のトピックスは、29歳、10年以上閉じ籠もりをしていた当事者の方の参加だ。閉じ籠もりと言うより、家が自分の居場所だったと。多くの人は通学、通勤、遊んだり、旅行したり、友と話たり、人と人が交流したりするが、その人達と一人でいる自分は何も違いは無いとの発言が、私には斬新だった。知識が豊富とか、いろんな所を旅しているとか、多くの体験をしているとか、沢山の友達がいるとか、そんなことどうでもいい??
一人の人間の存在、価値を表現するのに何が必要、大切???
ますます混沌としてわからなくなった、でも心地良い会でした。 報告 大塚喜久子

Mail: director@hinofuku.org

たまりば 12月9日 19時から

出席者は29歳から81歳までの6名で、深く、良い話ができました。学びの多い時間でした。

宴の後のひとこま
  • 生き物の本質
  • 本能を抑えるのが学校
  • 自分が何に困っているか。本質を言えない
  • 1度意識するとどう歩いていたかわからなくなる
  • 精神科の薬を飲むといろいろなことが気にならなくなる ー 自分にも他人にも
  • 正しい歩き方を習っていない
    歩き方指導を受けて歩くと調子が良い
  • 呼吸が大切 ー 呼吸法
  • 冬季うつ セロトニン?

ひのふく fujinaga@hinofuku.org

コミュニケーション能力を考える

副理事長 藤永清和

 新型コロナやプーチンの戦争、習近平の独裁など、地球規模で心配の種は尽きない。武漢で発生した時ならゼロコロナ政策が有効だったかもしれないが、あのときは「人から人へはうつらない。空気感染はしない」など誤った情報で感染を広げた。そして、世界中がコロナはゼロにならないことを前提にしているとき、一国ゼロコロナ主義がうまくいくとは考えられない。また、プーチンらが平和を望むとは思えない。このような世界情勢の中で、我々はどのように生きたらよいのか思いめぐらしている。

 ところで、障害者に対して健常者という。さて自分は常に健やかなる人であろうか。病める時も健やかなる時もあるのではないか。それなのに自らを健常者と称するのはいかがなものかと思う。そして、健常者の偏見や他者を見下す態度をどう考えたらよいのだろう。障害者を差別している人を健常と言うことに違和感を覚える。弱い立場の人が引け目を感じるのも健常者のせいではないか。

 障害者施設を訪れると「親亡き後」が心配だという高齢の親の話が出る。それは社会が障害者を受け止めていないからだ。時には障害者グループホーム建設に反対運動が起こる。障害者の特性をよく理解して障害者のパニックを誘い、「ほら障害者は危険だ」という「健常者」もいる。福祉事業所では地域とのかかわりを大切にしていると理念や行動指針では語る。しかし障害者が地域になかなか溶け込めていない現実がある。無神経な「健常者」のふるまいのために外出できない障害者もいる。

昨今はコミュニケーション能力が重視されている。その人の他の能力よりもコミュニケーション能力が大切だとさえ言われる。しかし、コミュニケーションは情報共有や意思の疎通を意味し、双方向のものである。相手にコミュニケーション能力を要求するのは、意思の疎通に苦労したくないからではないか。コミュニケーション能力の重視は分かり合うための努力や人の多様性を認めるのと違う方向に向かっているように思われる。「ほうれんそうは賛成土壌には育たない」ことも忘れてはならない。