うちの猫

理事 髙橋 美枝

うちの猫は19歳です。
保護猫施設から2006年にうちに来て、その時点で1歳近くだったので、すでに20歳近い?のかもしれません。

よく食べ
よく寝てます。
若い時はツンケンしていて、寄るな触るなだったのに、今は毎朝、娘と私の膝を取り合います。

年寄り猫のせいか、背骨がポコポコ浮いていて、身体の張りもありませんが、ふわふわの毛並みは変わりなく、大変良い手触りです。
まだまだ元気でいてほしい。
生きてるだけで偉いと褒める毎日です。

昨年10月まで、2匹居ました。
同じ時期にうちにきた子でした。
2匹揃って長寿なので、動物病院から賞状もいただきました。ずーっと2匹で居たので、猫は2匹でないと不自然に感じます。
今は1匹…

先に逝ってしまった子は、とても気が優しくて、身体の大きな子でしたが、うちに来た時から病気がちでした。
2人の子ども達の子育ても一緒にしてくれました。
18年も一緒に暮らしてくれました。
最期の最後まで、自力でトイレに行きました。
本当に偉かった。

ただの思いつきで飼って、気がついたら人生の約半分を一緒に暮らしました。正直言うと、親が死んだ時より泣いています。
たかが猫の子1匹で。
と思っていましたが、とんでもないことでした。

猫は素晴らしい生き物です。

世界人権宣言から80年:現在と未来を考える

理事 槇島和治

私たちは日本の国土に生きています。そして地球人として考えるといまこの星では、あらゆるところで災害や戦争などで多くの人々が被害を受け生命さえも奪われる災禍にさいなまれている。国連が80年前の世界大戦ののちに、世界人権宣言としてすべての人間が生まれながらに基本的人権を有し、尊厳と権利について平等であると宣言しました。国連が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見、国民的出身、財産、地位などによる差別は許されないとして世界人権宣言が発布されたのです。

あらゆるハラスメントが横行して人権がないがしろにされている根源は何か。あれもこれもといってもきりがない。人間にとって何よりも大事な命と健康、そして人権を考えていく。

1年のはじめに自分に向かって発することばとしていきたいです。

理論は学べたのか?

理事 熊谷 亜由美

 私は大学に推薦で入学しました。その大学は私が入学する時に試験科目が社会科2科目から1科目になり、通常の私学の入試と同じになり、1学年100名のところ、初の推薦で3割取るというある意味無謀な入試でした。推薦1期生の私たちはクリスマスまでに合格が決まっていたので、すっかり受験勉強から逃れてしまいました。しかも、推薦入学の試験は小論文と面接だけでした。そのため、入学後、英語力に一般入試の人たちと差が出ました。そして、翌年からは英語力を試す推薦入試となりました。
 また、その当時通っていた予備校はこじんまりしていて、推薦入試だと伝えたら、小論文の練習をしておくように言われ、それは役にたちました。また、合格した時に予備校の校長に伝えたら、「受かると思っていたよ。社会福祉は理論と実践だと言われるけど、君は実践は大丈夫だから、大学行ったら理論を学ぶように。」と言われました。
 みなさんに公言しましたが、社会福祉士の試験を受けるためになかなか進みませんが、勉強してます。制度などは変わっていますが、学生時代に学んだこともあるはずですが、本当に理論が身についていないことを実感してます。
 2月の試験の高い受験料は納めました。もう受けるしかないので、自分を追い込みたいと思います。

アッという間に順番が来て、さて、私のひと息、ため息、心意気は?

理事 川松 ゆり

ひのに出会って、アッという間の35年

とんとん拍子の35年

いい仲間に支えられ

きあいと愛嬌ですたこらサッサ‼

たくさんの人と出会い、学び合い

めがしら,熱くしたことも・・

いじけて、すねて、発奮し・・

きあいと愛嬌ですたこらサッサ‼

ここは私の心の故郷

ここが一番、日野のまち

ろけーしょんは変わっても

いつまでも茫洋としたおおらかさ

きあいと愛嬌で今日も変わらずすたこらサッサ‼

猛禽類天国 パリ 行ってみたい

理事 渡邉雅子

フクロウ大好き
年に数回は銀座のフクロウカフェに出かけます。
店長さんに愛情深く育てられていて、人間との信頼関係ができていているのでグローブなしで撫でることができます。
足は紐でつながられていますが。

本来、猛禽類は餌確保のためにテリトリーが広いそう。
ところが、パリはあちらこちらに巣が密集しています。
パリは周辺に自然公園が多く小鳥がたくさんいます。古城庭園は人の手入れがいきわたり、上空からネズミ等見つけ易い。
餌が豊富にあるので、猛禽類(ハヤブサ、チョウゲンボウ、ハイタカ、フクロウ等)が共存できるとの事。

旅行にはあまり興味のない私だけれど、いつの日かパリに行って、のんびり猛禽類の観察がしたいなー、夢見ています。

子どもの遊びには寄り道こそ必要

子育ては、慌てず、焦らず、諦めず、子どもを信じて

理事 中能孝則

森のようちえんや冒険学校の活動では、寄り道をして目的地に着くまでに予想以上の時間がかかることがあります。途中で倒木を見つけた子どもたちはその木をひっくり返し始めました。苔むした木の中からは様々昆虫が現れます。するとこれはホタルカミキリムシ、これはゾウムシ、これは玉虫と私たちが知らない虫の名前とその特徴を次々教えてくれる子どもがいます。まるで昆虫博士です。

また、昆虫に興味のある子どもたちが集まってきて昆虫談義が始まります。その様子は実に楽しそうで、私たちが入る隙間はなく「そろそろ先に行こうよ」と促すタイミングを考えることもあります。ある日昆虫博士のお母さんにそのことを話すと「この子は小さい時から昆虫に興味を示したので、昆虫図鑑を渡したところ毎日のように見ていて、誰が教えたわけでもないのに様々な昆虫の種類やその特徴などを熱く語るようになりました」と話してくれました。

子どもが興味を示したものをさらに広げてあげることが大切ではないでしょうか。

多様性あるいは、アナログとデジタル

藤永清和

人を文系と理系に分ける人がいるが、きっと体育系を忘れているのだろう。善人と悪人に分けることはできない。戦争は正義の衝突でもある。

アナログ人間とデジタル人間がいると考える人がいる。しかし、デジタルとアナログが相互に変換できることを忘れているようだ。

デジタルは1かゼロだからダメだという人がいる。2進数の一桁を1ビットと言い、これがデジタルコンピュータの扱う最小単位だ。その1ビットがゼロか1かの状態を保持している。bit数を増やせば、より多くの状態を保持・表現できる。10進法で考える人は、5本の指で0から5までしか数えられないが、2進法を知っている人は5本の指で0から31まで数えられる。

自然界にある音や温度、光、電圧などの連続的な値の変化をアナログという。日時計はアナログ時計だが、針のある時計の多くは内部がデジタル回路でできている。

物事を二つに分けるのは自称アナログ人間に多いのではないかと思うが、どうだろう。

ところで、アナログ人間にはデジタル機器を扱えない人という意味もあるそうだ。そういえば私もコンビニエンスストアやスーパーマーケットの自動精算機は苦手だ。施設などのコンピュータのアプリケーションは使いづらくて混乱する。高齢者向けのスマートフォンはとりわけ使いにくくて手が出ない。その点では、私もアナログ人間の仲間かもしれない。いや、デジタル機器が使えないのは、そのユーザーインタフェースの出来が悪すぎるからだ。今こそ、自然に使えるデジタル機器のインタフェースを設計する人材が求められている。

昭和はそんなに良かった!・・・男はつらいよ!!

理事 湯本とおる

最近{昭和の時代}が見直されてきたように思う。

もちろん、平成や令和の時代との比較の上であろうが。

隣近所は仲が良く、家庭ではやさしいお母さんに暖かいお父さん。会社では戦後の社会復興のための懸命の頑張り。人々は希望に輝いて美しかった。未曽有の経済成長を遂げて世界に冠たる日本を作り上げたのである。

歌謡曲も人情にあふれ、心に沁みる歌が多かったとしてリバイバルされたり、昭和の佇まいがレトロとしてなつかしがられてもいる。

しかしそんなに良い時代?に大ヒットした「男はつらいよ」シリーズはなぜ全国民に人気を博したのであろうか。

主人公の寅さんは、学歴はなく気ままな旅ガラスの行商人。ふいッとおいちゃんおばちゃんの住む下町に舞い戻っては、マドンナに片恋慕しては果たせず、傷をいやすために再び異郷の空の下へ・・・。このお決まりのワンパターンは、ついに主人公の役者の高齢化によって50作で終了となった。

主人公の人となりをふりかえってみると

・低学歴

・子供のころはやんちゃ坊主

・勤めには向かない

・同じところに長くいられない

・おせっかい焼き

・人好きで惚れっぽい

・計画性はない

これがざっと見た主人公の人となりである。

この時期、この主人公は「求められていた人材」ではなくむしろ正反対であった。人々は、こんな風来坊的な生活を日々望んでいながらも、高度経済成長期の経済組織の渦の中に巻き込まれ、窒息しそうになりながら盆暮れのこのワンパターンの映画に時を忘れて拍手を送り続けた。

どんどん新しいものを取り入れ作り出すことに疲れていたから、結果が見え見えワンパターンの物語に安らぎを見出したのである。

ホントは「昭和はつらかった!」のである。

理事 髙橋 美枝

雨の村
しとしと降る
人は居ない

雨の庭
草に水滴
土のにおい

雨の山
木立の隙間に
無数の雫
暗い夜

雨の道
冷たいつま先
傘に音
行く道急ぐ
待つ人想う

雨の終わり
もう何も聞こえない
白々明ける
最期の朝
かける橋
虹の足跡

ブギちゃん

理事 大塚喜久子

NHK朝の連続ドラマ、ブギウギが放映されました。私がこの話を書く今、なんとタイムリーな事かと思い、私には先見の明があったのかと自画自賛してます。

 今から20年ぐらい前、近所の巣箱から巣立ちしたヒナ達がいました。その一匹が未熟鳥で巣だちに失敗。ヒナのSOSの声を聞付けた私が外に出ると、我が家のドア下隅に蛾のようにへばり付いているヒナ鳥がいました。隣は野良猫のたまり場で2?3匹がたむろしてます。よく捕まらず助かったと思います。未熟鳥は同じヒナ達の半分か3分の2位の大きさでした。助からないかな?と思いましたが、お腹が空いていたのか、最初からスリエをパクパク食べてくれました。親鳥や兄弟が来るかとカゴに入れて外に出し様子をみました。何度か近づきましたが、その後は来ませんでした。家族はヤマガラだったら、おみくじ引いたり出来たのにと残念そうに言います。それなら東京ブギウギでも踊ってもらおうと、私は【ブギちゃん】と名付けました。ブギちゃんはシジュウカラです。家の中でも飛ぶ力は弱くヨタヨタ歩いていました。当時飼っていたメダカの水槽に落ちてアップアップしたり、慣れてきたら食卓の上を動き回ったり、愛嬌のある子でした。鍋の蓋に浅く水を入れて、流しで水浴びするのが好きでした。自然界では生きていけないと悟っているのか、自分のカゴが一番安心する様でした。日光浴はカゴごとそとに出しても、隣の猫が狙っているので付添、見張りが必要でした。こんな小さな鳥なのに、すっかり家族の一員となり、なんと約10年間生きてくれました。老鳥になりブギちゃんの眼も人間の白内障の様になり、見えづらくなりました。自分でカゴの外に出て遊び、自分でカゴに戻る様になりました。

 ある夏の終わり頃、私が帰宅するとカゴの天井につかまっていました。私がブギちゃんただいまと声をかけると、一声鳴いたように思いましたが、ポトリと落ち、そのまま旅立っていきました。私を待っていてくれたのかと涙が止まりませんでした。こんな小さな鳥がなんと大きな安らぎや、癒しをくれたのかと、ただただ感謝あるのみです。10年間も一緒生活してくれたブギちゃんに家族は感謝を彫りました。

【シジュウカラのブギ      鳥に産まれ天空を舞うことのできなかった君         でも君はえがおとかんどう、そして授かった命を生きぬく勇気をおしえてくれました】と